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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

逆行、縁取り

昨日の記事について珍しく二つもコメントを頂き、二つとも「二段落目が良い」という内容だった。それは私たちの人生がもし逆の流れなら、というifシリーズ的な内容だったが、あまりそんなことを考える人はいないのかもしれない。いるのかもしるない。私はしょっちゅうそんなことを考えていて、例えば、と来たところで特に例になりそうなことは頭に浮かばず、代わりに私は例えばシールとか人にもらうとそれはビックリマンシールみたいな縁も含めた四角いシールじゃなく、よくキャラクターの形に剥がれるようになっているシールがあるじゃないですか? それってしかし台紙は四角だからキャラだけ剥がすと残りが昔の漫画の壁を突き抜ける破天荒なキャラみたいに、そのキャラの形だけのシールが残っていて私はそれがいつも気になって仕方がなく、愛おしさすら感じる。部屋の本棚の側面に私のシールコーナーがあって、それは私が幼い頃母に
「ここになら(シールを)貼っていいよ」
と許可された台所の棚の側面があって、私はそこにNHKだとかキン肉マンのシールをとにかく貼りまくった。私はとにかく、シールは貼らなくては気が済まない性分で、後にビックリマンシールというものの存在を知ったとき、どうして貼らないシールがこの世に存在するのか、意味がわからなかった。台紙のぶぶんでもふれたが、私はビックリマンとはとにかく相性が悪い。

とにかく(今日は「とにかく」ばかり使う、とにかくデー)私はなんの計画性もなくにゅーしゅしたシールを貼りまくり、私は大人になった今、再びそのシールの無法地帯を作りたくてシールを貼り、そして本体よりも愛おしい「縁取り」のシールを貼ったら妻に頭おかしいんじゃないのみたいに言われた。私がシールを貼るようになると、子供が進研ゼミの使わなかったシールなどをくれた。

逆行についてはコメントの返事でもふれたが孔雀王の影響もあり、小学校四年か五年のとき私の家は初めてビデオを買って、それで土曜ワイドショーなんかで放送された孔雀王を録画し、最初は飛び降りのシーンなんかを巻き戻しで見ると面白くて、その後だんだん死者が蘇ったり、あと孔雀王の悪のボスはカイマショウゲジンという巨人だが、それは元は封印されていたのが蘇って結局孔雀とコンチェ(三上博史とユン・ピョウ)にやられるわけだが、逆再生では封印状態に戻り、封印されたままは不安だが、このままなら殺されなかった人もいるなあ、と私は思った。あと逆再生では音声が消えるので、勝手なセリフをでっち上げているうちにひょっこりオリジナルストーリーができて楽しかった。私はよく車の中で、「町ゆく人の心の声」みたいな遊びをするがこれが子供には大変好評で、横断歩道を渡る人や犬の散歩をする人のちょっとした動きに声をつけていくのである。しかし子供というのは限度を知らず、視界にはいる人すべての声を聞きたがり、私はだんだんめんどくさくなって、最後は
「あー、うんちしたい」とか、
「うんち、ぶりぶりぶりぶり」
とか、うんちばかりになるが、子供はうんちが好きだから満足した。