意味をあたえる

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アリの気持ち

前から行きたかった養老天命反転地というところに行ってきた。しかしあまりに暑かったので正味30分くらいで出てきた。お昼ころについて、腹は減っていたが
「中で食べればいいや」
とか思ったら中は傾斜ばかりであった。飲み物も所持していなかったので、流石に死ぬかもと思った。とはいうものの、養老天命反転地はそこで遊んでいる人は決して死ぬことはないということなので、死ぬことはないのかもしれない。生き死には別として、ズボンの裏側の汗とか頭痛は不快であった。私は家族と一緒に来たが、少し前にSMAPの草なぎくんとか、嵐の大野君が訪れていたので、私の家族はそこに来ることに同意したと行って良かった。私はもちろん、保坂和志とか山下澄人荒川修作について語っていることと、さらには小島信夫が岐阜の出身であるから来たいと思っていた。ミーハーなのはお互い様だった。

行ってみるとなるほど、と思うぶぶんはたくさんあった。誰もが行って後悔する場所ではないと思う。私はコンクリートや岩の山を登りながら、蟻の気持ちについて考えた。私の生家には土地の境界にブロックが並べられていて、私はよくそこで蟻を見た。大きいのも小さいのもいた。土には巣もあり幼い私はほじくり返して蟻の逆襲にあい、膝頭を噛まれて泣いた。30年以上立って、私たちの立場は逆転した。それは私が社会の一員になった、という意味も含まれる。とにかく合理性だとか効率だとか、そんなものは人間同士にしかない価値観である。荒川修作はそれ以外も含めてこの公園を作った。

私の子供が幼稚園に通っていた頃、私の家の前に送迎のバスがやってきて、私たちはバスが来るまで向かいの家の前で待っていた。向かいの家と道路の境にはコンクリートがあって、私たちは暇なときなどはそのコンクリートを見ながら過ごした。冬になるとバケツの水が凍るのでそれを割ったりした。あるとき私たちはコンクリートのわずかな隙間の根元に、土の山が出来ていることに気づいた。土のきめは細かく、そのため山はミニチュアのピラミッドのようであった。一体どういうアレで山が作られたのか、観察していると不意に隙間の上の方で蟻が頭を出し、噛んでいた土くれを離したのである。コンクリートの向こう側は蟻の巣だったのである。私はこの発見に感動すらおぼえ、それは子供にしても同じだった。子供は家主にその事実を伝え、家主は早速ホームセンターで駆除剤を買ってきて、蟻を根絶やしにした。隣家の主人は新潟出身だそうである。