意味をあたえる

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ドラマ「神の舌を持つ男」が面白い

子供が「神の舌を持つ男」というドラマが面白いですよと言うから、私は面白くても面白くなくてもドラマを見たいという気分ではなく、私にはドラマを見る/見ないの自由を有する現代日本人であるから見ないこともできた。しかし子供は二時間だけテレビの前にいてほしいと懇願し、よくきくと一時間の二本立てであったから図々しいやつだと思った。自分が面白いと思ったものを人に勧めたがる時期は私にもあったがあれはなんなのだろう。私の両親はそういったものに全く耳を貸さず、例えば
「一緒にトランプしましょう」
とかならたまには乗ってくるのに、本やゲームを手にしたことは一度もない。しかし私は母に「幽遊白書」や「イレブン」を読ませたことがあり、それは続きを読ませたいと思わせて商品代をせびるという、ある種の「おねだり」であった。実際母はよく漫画を読んだ。母の元々の守備範囲は少女マンガで、大谷博子が好きであったが、幽遊白書では桑原が好きだという。これはつまり、美少年美少女を少年マンガがうまく描けるわけないという主張だったのかもしれない。イレブンでは誰が好きとかきかなかったが、おそらく浦部あたりであろう。私はイレブンなんかだと誰でもいいやって気がする。一方の私も母所有の「生徒諸君」などは面白いとおもって二回くらい読んだ。

とにかく子供の自分の面白いものは他人も面白いはず、という思い込みはなんなのだろう。しかし神の舌はわりと面白かった。最初トリックに似ていると思ったが、私はトリックもほとんど見たことがなかったが、トリックはほんの少し見ただけでもなんか疲れた。それが神の舌にもあった。それは何分かおきに木村文乃が頭のおかしいことを言って、それを同行の顔の四角い男がたしなめるのだが、そのたしなめが、極めて正確かつ執拗で、そのちゃんとした感じが疲れるのだ。几帳面というか。いわゆるお笑いでいうボケ/突っこみなのだが、それぞれのアイデンティティが確立されすぎというか、私はボケ故にボケる、とか突っこみ故に突っこむ、みたいなのが画面越しにひしひしと伝わってきて、私も視聴者ゆえに視聴する、と正座して見なければいけない気がしてだんだんと頭が痛くなる。やはりどこかにゆるさが欲しい。ボケはたまには滑って、突っ込みはたまにはスルーしてほしい。私も寝転がってみたい(実際はソファーに横になって見ているからこれは比喩)。

しかしだんだんと慣れてきたら、素直に笑えるようになってきた。木村文乃は最初水樹奈々だとばかり思っていたら違う人だった。あと片瀬那奈は友達に似ているなあと思った。あと向井理は顔を見る度になぜか押尾学という名前が出てしまいいつも困っている。