意味をあたえる

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終わりとはじまり

さっき山下澄人保坂和志ジュンク堂でやっていた対談の動画を見ていたら保坂が
「「ルンタ」は最初のうちはあまり面白くなかった」
と言っていて、「ルンタ」は山下の小説である、実際「この場面の一人称は誰?」とかあと、「ルンタ」を書いた本人にだーっと読ませたりして国語教師のようで感じが悪かった。一人称の確認の場面で鉄塔の作業員が出てくる場面があり、高い場所で彼は作業を行っているのだがその下の遠くの方に主人公と女がいて、
「どうやら私たちは作業員を見ているようだ」
なんて書いてあって、たぶん私は読んでいるときにもニヤっとしたし、今日も聞いて笑ってしまった。山下は、
「俺一人称の使い方わかんないんすよ」
とまったく反省の素振りも見せずにうらやましい。私はわかってしまっているから悔しい。どんなに真似しても「狙った」風になってしまうのが悔しい。もっと国語の授業を不真面目に受ければ良かった。国語教師に良心的な人が多すぎたせいだ。おそらく保坂もこんな風に思ったから、山下に延々と朗読させたのではないかと推測する。

笑った、と言えば今週の「シャキーン という番組の中で、不定期に特定の児童が自分の好きな物を絶叫しながら旗を振るというコーナーがあるのだが、今回の女児が
「わたしは巾着袋のきゅっとなるところが好き」
と言いながらきゅっとさせていたから「わかる、わかる」私は大笑いしてしまった。傍らには妻も子もいたが笑っているのは私だけだった。さくらももこだっけかが「巾着袋は肛門に似ている」と言っていたことが私の記憶にあり、そういう下ネタに若干かすったところも私を大笑いさせる要因となった。

一方保坂は対談のとちゅうで出し抜けに小島信夫の話を始め、
「実は「ルンタ」が最初頭に入らなかったのは、小島さんの小説読んでいたから」
などと言い出し、そこから早口で小島信夫の話を始め、私は保坂は調子のいい奴だな、と思った。「小島と山下は似ている、一方俺(保坂)と磯崎は同グループ」と言っていたが、私には山下をフォローするために無理やりこさえたグループ分けに思えた。しかし「小島さんのほうがぐちゃぐちゃ」とやはり小島上位には変わらないのだが。一応グループ分けについて触れるとどちらも行き当たりばったりで小説を書くが、保坂磯崎は直前に書いた場面が次のページにつながるが、小島山下は直前に書いた自分の気持ちが次のページにつながる、と言っていた。

それと保坂の「ルンタ」分析の中で誰かのセリフを書くときに
「「なんとかなんとか」と、彼が言った、という具合に先に言葉が来て、後に言ったのが誰なのかが記される、これは現実には時間が逆戻りしていて、読者はこれによりめちゃくちゃな小説構成に馴らされる」
とあって、なるほどと思った。場面やストーリーのしっかりした小説なら言葉だけでも誰なのかわかるような親切設計だが、「ルンタ」はそれまで出てこなかった人がいきなり話し始めたり、私が私に言ったりするから確かにセリフを読んでから発言者がわかり、わかったところでもう一度セリフを読むという作業を高速で行っている。それってつまり最初も最後もないということでは? と思い「ルンタ」を最後から読んだが違和感なかった。蛭子さんが昔2つ連載持っていたときに、片方が競輪で片方がパチンコ、みたいな感じだから書き分けていたが、あるとき入れ違いに入稿したら誰にも気づかれずに雑誌に載ってしまい唖然とした、という話に似ていると思ったが似ていなかった。