読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「今日書いたっけ?」と思うのが楽しい

これは毎日更新している人にしかわからない感覚だが、たまに
「今日書いたっけ?」
と思うときがある。そう思うときはすでに書き終わって更新も済んだときで、書く前に思うことはまずない。書く前は
「なに書こうかなあ」
と思う。毎日なにかしら書いていると、なに書こうかなあとか思っても書けることはひとつかふたつで、そういうのに馴れるとたまに10個くらい思い浮かぶことがあっても、8個くらいはおぼえてられない。だからどこまで行っても一個か二個だ。その代わりブログを始めた頃には書こうとしたことを忘れたときに妙に悔しがったり
「どうせ端から書くに値する内容じゃなかったんだ」
と自分を慰めたりしたが、そういう感情はほとんど抱かなくなった。もう何を書いても一緒だ、という心境である。読む人が抱く印象も日々それほど変わらないはずだ。それがいいか悪いかは知らない。

毎日書くメリットは、書きたくないことを書けるということである。書きたくないが、他に書くこともないから仕方なしに書くのである。書きながら書きたいことにシフトすればいいや、と思う。書き出すと、書きたいことが出てくるから、私は自分の主張だとかにこだわらないから、急ハンドルを切っても問題ないのである。書き出すと案外書けるのである。そういうのは書く前の心境とかテンションとかは一切関係ない。お腹が痛いとか背中が痛いとかだと書くのは無理だが、気が乗らない程度なら書けるのである。私は別に誰に気を遣っているわけでもないから、ときには一行でもいいやと思っているが、本当に一行しか書けない日は滅多にない。別ブログで小説書いたから今日はお知らせだけにしようと思っても、ついつい書いてしまう。それも、だいたい面白く書けてしまうから、書き終わった後はだいたい爽やかな気持ちになる。書くときは書くことしか考えていないから、良い気分転換にもなる。

だから理論上は健康である限り私は書き続けることができるのだが、そういえば6年くらい前に一度尿管結石になって、あのときは本気で痛かったからそれが再発したら無理だ。私は土曜日に急に腹が痛くなって近くの胃腸科に行ったら
「今日は土曜なので診察は1時までです」
と云われ腹が立った。しかし尿管結石とわかってからは痛み止めとか飲んで、すぐに石も落ちたから夕方四時くらいにはケロリとしていた。しかし尿管結石とわかるまでは盲腸じゃないかとか言われ、はっきりしないうちは薬も出されないから本当にのたうち回るしかなかった。年々太るメガネの医師は
「尿管結石は普通背中が痛くなるから、あなたは腹が痛いと言ってやってきたから、盲腸かと思った」
と言い訳をした。ヤブかもしれない。そういえばその二年前にも風邪を引いて処方された薬を飲みきっても良くならないから再び来院したら、良くならなかったらまた来いとか行ったくせに
「最後は気持ちで治せ」
とか言われて西洋医学のプライドもないのかと呆れた。しかしその後実際に良くなってしまうので、私は私で困ったものなのだった。私の人生でそういうことは多々ある。