意味をあたえる

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腰痛とオーディオはどこか似ている

私が初めて聴いたジャズアルバムはジャック・ディジョネットの「スペシャル・エディション」でそれは借りた物をコピーして聴いていたが、その後に初めて私はジャズのアルバムを買い、それらジョン・コルトレーンの「ライブ・アット・ヴィレッジヴァンガード」だった。それで数年後にコピーした方は処分し、今思うととっておけば良かったと思うがまたききたくなったから、今度はiTunesで購入して聞いている。何が言いたいのかと言うと、買った音楽と借りた音楽は聞こえに差があるのか? ということである。私は別にあとから買った「スペシャル・エディション」の方が音が良かったとかそういう風には思わなかったが、一般的には買った方が音がいいと言われている。私がCDやカセットを処分したのはおそらく5年くらい前で、理由は買った音楽の方がよく聞くからであった。結婚してすぐに私は大きめのCDのラックを購入し、いつかそれを埋めてやろうと思い、実際三分の二くらいは埋まった。当時はまだデータで聞く習慣はなかった。買った方がよく聞くということは、それだけ音がいいと思っているからである。だけれどもそういうのは愛着とかそういう言葉で片付けることができると思っていた。

しかしこの前高野秀行の腰痛について書かれた本を読み、著者本人が腰痛になって様々な治療を試すのだが、別の治療所に行く度にそれまでの治療法が全否定される。私もたまに腰痛で動けなくなるが、以前行った接骨院では
「腰を支える筋肉を鍛えないといけない。腹筋、背筋をバランス良く鍛えなさい」
と言われ、腰という機関はそんなにも繊細なんだろうと思い、律儀に鍛えたがあるときテレビを見ていたら
「腰痛に筋トレが効くなんてデタラメだ」
というようなことを言っていて「そうだったのか!」と思った。しかしそのあと高野さんの本を読んで、もっと色んな方向から、全方位に対してお互いを全否定していてもはや収集がつかない。しかも高野さんの腰は全く良くならない。結論として心因性ということになって高野さんは頭に来て腰の痛みなどかまわず、がしがしプールで泳ぐのであった。こういう一連のことが、オーディオなんかにおける、「○○すると音が良くなる」というのと似ている。少し前に家の前に音楽専用の電柱を立てると音が良くなるというネットの記事を読んだが、確かにそういうこともあるだろう。私の知っている話だとマンションを土台からそれ用に建てると良いとか、あと電源コードを裂けるチーズみたいに縦に裂くといいとか、あとCDだと十字に傷をつけると良いというのを聞いた。それらはやはり自己満足だとか、思い込みだとか言われることもあるが、人間の腰が痛くなるようにおそらくそれらには人の耳の鼓膜の角度が変わるとか、そういう作用があるのだ。どうしてコードを縦に裂いて鼓膜がどうとかなるのか、ナンセンスかもしれないが、気の波動とかで腰痛が治るのだから、同じことだ。

じゃあどうして癌は気などで治らないのかというと、研究が進んでしまい、それ以外の治療法がロジックで否定されてしまったせいだ。ロジックとは記号なので複製が容易だから、瞬く間に広がり、誰の心にも浸透しそれ以外の治療が入り込むスペースを奪ってしまった。命に関わるもの、緊急性の高いものからロジックが埋まるようにできている。