読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

夢を記号に置き換える

今朝夢を見て、それをなんらかの記号というか文字に置き換えればずっとおぼえていられるということを考えて、しかし記号化されればもうそれは元のものとはげんみつには異なるイメージのかたまりであるが、記号化とはつまり丸や丸ですらない不定形を四角くして少しでも無駄なスペースをなくしましょうという発想なので私のアイディアは人類の発展に貢献しています。

しかし忘れた。

記号化という発想は夢の側に属していたせいだ。ところで私は長い間目をつぶっていることができ、さいきんは朝の5時40分くらいに起きているがたまに4時40分に目が覚めたりするとラッキーとか思ってしかし起き上がるわけでもなく目をつぶって起きたり寝たりして、そういう状態でも
「かなり覚醒した」
と当人は思っている。あと夜なんかも起きているのが面倒になって、無理やり目をつぶってやり過ごそうとするときもある。人生の無駄遣いだろうか。中学生のころも同じようなことを考えていて、生活記録ノートに
「今日はすることがないので将来のために時間を貯金します。寝ます」
みたいなことを書いた。生活記録ノートとは中学生版の連絡町であり、一枚が三分割になっていてそのひとつが一日でその中に明日の時間割コーナーがあったり、日記を書く欄があったりする。日記なんてまったく書かなかったが、中三の担任は日記は毎日書いて必ず出さなければならない決まりを私たちに提示し、私は中三で初めて担任になったから中三で日記を書いたが、中一や中二で担任になった人はそのとき日記を書いた。毎朝日記は集められ、そこで集計して何日出さなかった人だとか、その人が所属する班だとかに、給食の片づけなどの罰がくわえられた記憶がある。出さない人というのは決まっていて、だから席替えのときみんなはその人と同じ班にならないよう願った。出さない人というのは、勉強などでも落ちこぼれて、たいていみんなに嫌われていたから担任もそういう孤立の種をまくことになんら躊躇もなかった。ほんとうは一週間に二回とかついうっかり忘れてしまう人とかが、そういう偶然の積み重ねで罰を喰らうようなシステムで、文字通り「罰ゲーム」というようなやわらかい雰囲気にクラスをしようと思ったが、実際は落ちこぼれの独壇場で、ついうっかり忘れる人なんていない。私は毎日書くことがないのに必死に行を埋めていたが、あれはみんなに嫌われたくなかったからだろうか。本当に糞ったれだった。