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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

みそっかす

会社で近くの人がみそっかすの話をしていて懐かしく思った。グループ内にひとりだけ幼い子がいると、その子は「みそっかす」となって鬼ごっこ等のルールから除外される、それを同僚が「無敵」と表現していて愉快だった。みそっかすとは、みそっかす以外の子供たちが共通の認識を持つための確認ワードというか、一種の暗号だった。暗号というのは当のみそっかすにされた子供から隠すための暗号である。一緒に話していた同僚のほうはみそっかすを知らず、
「そんなことされたら傷つく」
と言ったが、傷つけないための処置なのである。対象者は少なくとも「みそっかす」という言葉が理解できない程度には未熟なのである。未熟だが年長者の仲間入りをしたい。その要求をかなえるためのみそっかすである。これによって年上も年下も集団遊びを楽しむことができるのである。

同僚はまた、「みそっかすという言葉は知っている。しかしそんな使い方は初耳だ」と言っていたが、これ以外のみそっかすがあるなんて、私は知らない。知っている方の同僚は「上品に言うと「おみそ」」なんて言っていて、その言葉の響きに私は懐かしさをおぼえた。懐かしさとはすなわち母であり、私は昔母とお風呂で「沈没・沈没・ハワイ」などと言いながら、手の形がかぶらないようにするゲームをして遊んだ。沈没とハワイと軍艦であった。お風呂の蛇口の下に逆さにしたコップを置いて水を出し、水がドーム状に跳ね、それを「バリヤーと名付け、即興のバリヤーの歌を母と歌ったことを思い出した。バリヤーの中にいる限り、水に濡れずに済むのである。私の実家の風呂は深かった。母の実家の風呂はもっと深く、子供時代は踏み台がないとまたげなかった。浅い風呂がトレンドなのだろう。

近くに農協の倉庫があり、その敷地が空き地のようになっていた。下がコンクリートだったがそこでよく遊んだ。私は年上のことが多く、たぶん自分の弟だとか、よく誰かをみそっかすにした。私自身がみそっかすになった記憶はないが、記憶のある人はほとんどいない。近所にいろんな年齢の人がいて、2歳上になると大人と代わらなかった。6歳上が
「俺は人が殺せる」
と言って、マジかよと思った。私も弟とは6歳離れているが、弟は私が人を殺せるなんて思ったことはない。私は弟を殺したことはないが、一度父のゴルフクラブでゴルフごっこをしていたときに、誤って弟の頭をパターで殴ったことがあり、そのときは死んだと思った。妻も長女で妹をデッキブラシで殴ったと言ったから、長男長女あるあるなのかもしれない。デッキブラシのほうは頭から血を流したというから、そっちのほうがシリアスだった。しかし私が子供の頃はよく、
「頭は血を流した方が安全、血が出ない方が後から深刻なことになったりする」
という話を聞いたが、今もそうなのだろうか。幼稚園時代に私はブランコから落ちて頭を打ったことがあり、私はバスを降りてから家に行く間に母に
「頭が痛いから病院へ連れて行ってくれ」
と頼み、実際に病院に行ってレントゲンを撮ったらなんともなかった。私は幼い頃は体が弱くてよく入院などもしたから、積極的に病院に行きたがる子供だった。自分が大人になってしまうと、大人だと感じる人が少なくなり、逆に小学低学年くらいなら赤ん坊と変わらない風に感じてしまう。