意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

明太子

昼に弁当を開けると明太子が入っていた。おかずコーナーである。私の弁当はご飯とおかずが分かれているセパレートタイプでご飯は私が担当、おかずは妻が担当する。妻が起きてこないときは私がおかずも担当する。私は妻が起きてこないときはスマホで音楽なんぞかけたりしながらマイペースにおかずを詰めるのでむしろ起きてこないほうが気楽なのだが、妻としては私のおかずを詰めることが自分のつとめだと思っているのである。義父母の目もあるからである。しかしそれでも起きてこない日があったり、また起きてもコタツで二度寝するときもあって、そういうときは
(今日のおかずはどっちなんだ......?)
とやきもきしてしまう。私としても一度ぐうたらしたら、出かける時間まで一歩も動きたくないのである。出かける時間になって下に降りたら何にも用意されていない、というときがあって悲しい。そういうときは途中で買っていくのだが、余計な出費である。そんな事態を防ぐために監視をする、あるいは起こすのが良策であるが起こすと不機嫌だから面倒くさい。そういう態度が気にくわなくてしなくてもいいケンカを朝からしてしまうと、大変非効率的である。そのためわざとテレビのボリュームを大きくしたり、灯りをつけたり消したりするがあまり効果はなかった。

妻の家は全体的に暗い。それは一家全員が本を読まずにテレビばかり見る一家なので、テレビが灯りの代わりを果たすのだ。対して私が育った家は比較的本を読む家で子供の頃妹などは、夏休みに100冊本を読むような子供だった。私と弟は比較的読まなかったが、漫画などは読んだ。妻は漫画もあまり読まないので多少暗くてもへっちゃらだった。そのため一緒に暮らすと
「暗いな」
と感じる場面が増えた。よく明かりを消すように指示された。郷に従って私もテレビ愛好家になれば良かったがどうも主導権を自分で握れないものには熱中できなかった。女ばかりの家庭だから、若い男の顔ばかりが連続するという環境のせいもある。

ここで突然電話が入って私の思考が中断し、もうこのまま筆をおけばいいやと思ったが、電話を切ってふと、テレビ愛好家は環境で考えればむしろ根暗で、読書家はその逆ではないかと思った。電子書籍が出回っている昨今ではこの論には無理があるが、基本的に光が必要になるアナログ作業をやるのは、明るさを求めるタイプだから根アカなのである。ところで私も最近ようやく電子書籍で本を読むのにも違和を感じなくなってきた。今は「モンテ・クリスト伯」を読んでいる。