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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

サッカーブーム

小学校の同級生にAというのがいて、女子だったのでAさんと呼んだ。私たちは中学校に上がり、中学校は学区の関係で私たちの小学校は半分しかその中学に行けず、残り半分は別の中学に行くことになった。私の学年は100人くらいいたから50人しかつまり行けず、あと250人は2つの中学からやってきて、必然的に私たちは少数民族にならざるを得なかった。Aさんと私は中学でも同じクラスになったが、ほどなくAさんはいじめられるようになり、学校へ来られなくなった。学校へ来られなくなるということはクラス中が敵のようになってしまい、ということは私もイジメに荷担していたということになる。という書き方はいかにも私が自分の罪を軽くしようとしている風だが、私は小学校のときはいじめられていた時期があり、そのあと人生でいちばん楽しかった小6の三学期をともに過ごしたAさんのイジメを止められなかったことについて、「なにやってんだ、俺」と責める気持ちもあった。しかし「責める気持ち」は高台から洪水を眺めて、
「んもう! そっち行ったら溺れるって、なにやってんだよ!」
みたいないかにも当事者意識の希薄な、偽善ぶった態度に思われて、逆にそっちに自己嫌悪するようになった。普通に考えてクラスの95%がAさんを疎ましく思う状況で隣の席からAさんの菌がやったきたら、タッチし返すのが自然な動作だろう。あと菌は基本誰のだかわからないから、知らないうちに傷つけたぶぶんもある。私はだから、正しいことをしたければ孤立をしるしかなく、逆を言えば人を強くするのは孤立することであると、割と本気で思っている。

Aさんのイジメの首謀者はNであり、Nは男で背が低くて笑うと顔にえくぼができ、野球部で丸坊主だったから外見はいかにも愛らしかった。しかし中身は理不尽のかたまりであり、常に誰かを貶めなければならないという正確だった。NはおそらくAさんが太っているからという根拠のみでいじめたのである。Nからしたらいじめの自覚はなく、外見的特徴にかんして疎ましい意思表示をしたらたまたまクラス規模に発展してしまったという感じだろう。Aさんがそれを跳ね返すだけの精神的タフさがなかったのも原因のひとつだが、その根拠として冒頭に書いたとおり私の小学の仲間はまっぷたつにされ、味方や心のささえになってくれる人が少なかったことも挙げられる。私もテニス部に入ったら私の小学は私しかおらず、それで先輩に校歌を歌えと命令されてフェンス際に立ったら私しかいないことに気づいた先輩が気の毒がり、同じ小学出身の一個上の先輩が一緒に歌うことになったが、前に出てきた先輩はいかにもみすぼらしい、乞食のような人だった。彼もまたひとりであり、虐げられていたのだろう。そうじゃなきゃ「後輩と歌え」とはならないはずだ。私の子供の頃はサッカーブームで、テニスをやる人は少なかったのです。

Nは私とつるんでいる人にもいないところで疎んだりしたが、一方で私のことは気に入っていた。今ではNとどんな話をしたかおぼえていないが、Nは内緒でつき合っている別クラスの女の子が誰か教えてくれたり(Nは「あまりかわいくない」と言って彼女を指し示した。それは顔色の悪い女だったが標準的な体型だった)高校進学時にはお前なら一緒のところに行けたのにと残念がられた(Nのほうが偏差値の高い高校だった。私は担任の罠にハメられ低い高校を受験した)。私のほうもN自身に対しては悪い印象はなかった。

それは私もまた、常に誰かを疎まないと気が済まない性格だからだった、と話を結ぼうと思ったが、いかにも子供っぽいから、そういうのは誰にでもあるということで話は終わり。