意味をあたえる

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SIMを解約せねば3

以前今月中にSIMを解約せねばと書いたが、今日までずるずる来てしまった。しかも肝心のSIMをなくした。二年前にエバーノートに予約投稿し、そこにプリンターの下の引き出しに保管とまで書いたのに、昨日開けてみるとまったく見つからなかった。出入りのはげしい引き出しだから、何かと勘違いして捨ててしまったのかもしれない。忘れたときの備えが万全なら、もっと忘れやすい場所に保管すべきだった。とは言うものの二年後にアラームをセットするなんていう経験は今までになく、ちょっとしたタイムカプセルを仕込んだみたいにわくわくしてしまい、完全に忘れるなんて無理だった。人が二年後の未来の行動を制御できるなんて、とても思えなかったのである。それとエバーノート自体が夏頃に不穏な雰囲気になったときがあり、私も面倒くさくて有料プランにしようとか別のに乗り換えようという気持ちにならなくて、今までの投稿も消えたら消えたでいいやと思っていたので、そのアラームについてもそのときになったら動かない可能性もあった。そんなこんなでいざそのときが来たら予定通りアラームは鳴り、私は「お、忘れてたわ」とちょっとアラームに気を遣った態度をとった。

しかし問題はその先であり、問題とは鳴ったアラームをどうやって忘れずにするかということだった。解約は今月中に行えばいいから、すぐに行動に移そうとは思わなかった。そうこうするうちに忘れてしまうと思い、最初はアラームの通知をいじらずそのまま表示させていたが、一週間くらいで消えてしまった。その後は寄る辺もなくおぼえていることにしたが、やはり忘れてしまう時期が数日あり、月も後半にさしかかってしまった。私はだんだんと解約しなくてもいいような気になり、たがだか千円の出費増を妻が把握できるとも思えなかった。万が一気づいたら逆ギレすればいいやとも思った。逆ギレする自分をイメージすると、今度は二年前の自分が恨めしくかんじた。店員の口車に乗せられ、わずか二千円か三千円値引きするために1回線契約したのだ。こういうのって、投資のために住みもしないマンションを購入するのに似ている。村上春樹のエッセイでバブルの頃に知人にマンションの購入を勧められ、妻と2人出見に行くとやたらと細長いとか物の配置がおかしい典型的な投資のための物件で、夫妻は「こんなところ住みたくないからいらないよ」と難色を示すのだが勧めるほうは「実際にあなたたちが住むんじゃないんですよ?」とまるで噛み合わないのである。このエッセイが書かれたのはまだバブルという言葉が生まれる前であったから私は感心した。