意味をあたえる

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過去ファンタジー

朝というか9時頃に起きて下におり、そのとき私の携帯は充電が切れていたから私は最初は本を読んでいたが、それは仕事にかんする本で「休みなんだから休みモードになろう」と思ってテレビをつけたら「とと姉ちゃん」の総集編がやっていて、私としてはこれくらいコンパクトなほうが良かった。恋愛パートはかったるかったが、悪徳電機メーカーをぎゃふんと言わせるくだりは良かった。恋愛のかったるさは昔タイタニックが流行ったときにタモリタモリとしては船好きだからタイタニックはぜひ観たいのだが、恋愛がどうしても見るのがイヤだから見るかどうかさんざん迷い、最後は恋愛だけ早送りして見た、という話を「笑っていいとも」で言っていてそれと似ていると思った。どうして恋愛はかったるいのだろう。それは恋愛はワンパターンだから、といっしゅん思ったがそれは恋愛に限らず例えば気難しい先生に原稿を書いてもらうために雨に濡れながらも家の前で粘るとやがて先生が、
「あなたには負けたわ」
みたいな感じで仕事を請け負ってくれる場面もかなり古風でワンパターンだ。しかし私は雨に濡れながらも出てきてくれるのを一心に待つ場面を見ながら「またかよ」とうんざりした気持ちにはなった。私もああいうことをやられたら心変わりするものだろうか。しかし、それで心変わりしたら自分の信念とはなんなんだ、と自己を保持する演算が狂ったりしないのだろうか。これと逆のパターンで村上春樹が昔にある編集者に自分のつくる文学全集にあなたの「1979年のピンボール」を入れたいがいいかと頼まれて、それは気に入らないから違うのにしてくれと頼んだら、ピンボールが長さ的にちょうどいいからみたいに言われてかちんと来た村上がじゃあ入れなくていいです、と断ったら相手は引き下がらずよくよく聞いてみたらチラシだかに「1979年のピンボール」と刷ってしまったからとのことで、事後承諾でそんなことをされた村上はますます態度を硬くして結局文学全集自体の話が流れ、編集者は入水自殺した、というのがあった。この話は村上春樹のエッセイのどれかに載っていてタイトルには吉行淳之介が出ていたと思う。元々は吉行淳之介の話で、文学全集の話を断ったときにいろんな人が「文学全集の話、受けてくれ」と頼まれ、その中に吉行淳之介もいたそうだ。吉行淳之介と言えば当時の文壇の大御所的存在だし、確か村上春樹のデビュー作の選考委員もつとめた人だから、村上的には断るのにかなり心苦しかったが断った、という内容だった。その吉行淳之介が亡くなったという内容だった。

この話はフィクションではなく実話だから、そういう意味でも先の「雨に打たれながら心変わりを待つ」とは真逆である。こちらは待たれる側の視点だから編集者側が見切り発車したりと、手落ちがあり、文学全集の頓挫にしても「自業自得じゃないの?」と思わせるぶぶんもある。吉行淳之介を動かすくらいの人だからそれなりに力のある人だと思うから、やはり強い人の肩を持つのはなかなか心理的に厳しいぶぶんもある。村上春樹だってかなりの力を持っているだろうが、エッセイには安西水丸の似顔絵が書かれていて、その落書きみたいなタッチのせいで、ずいぶんと素朴な人に見える。あれも村上春樹の戦略だったのだろうか。

そんな安西水丸が何年か前に亡くなり、去年か一昨年に出た読者の相談に答える本が出版されたときはとうぜん違うイラストレーターが村上春樹の似顔絵を書き、それを見て私は
村上春樹って結構貫禄あるんだな」
と驚いた。もちろん私は村上春樹の実際の写真も見たことがあったが、にもかかわらず、であった。