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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

目標は前の前の会社で立てさせられたのが最後

正確には前の前の前、くらいかもしれない。年末に社内報に載せるから書けと言われた。社内報は年明けに出た。私はそのとき派遣だったから対象外かと思っていたら、同じように出せという。日頃「派遣さんはいいよ」と言われることが多かったから、私は面食らった。目標なんて心底うんざりする。小学校の頃にうんうん言いながらひねり出したことを思い出す。私は昔は短くても長くてもとにかくものを書くのが苦手で、それは書いたことを周りの人間に馬鹿にされるからだった。たぶん私は子供の頃から自意識が強くて自分が特別だという意識が強く、あと少しだけ頭が良かった。だからこういう「なんでもいいよ」系の指示はいつもどこまでなんでもよくしていいのか悩んだ。周りと一緒なんて嫌だったが、違うと馬鹿にされた。江戸時代の農民のようにちょっとしたぶぶんに差を出す方法もあったが、そういうところに嫌らしさをかんじる人もいた。私は今でもそうだが、誰かに馬鹿にされたりすることが苦手だった。誰でもそうなのかもしれないが、大人になって世の中に出て、信じられないくらい厚かましい人はたくさんいた。私だって「俺は俺だから」みたいな風を装うが、周りの人全員が私のように装っているようには見えない。あと「わたしは周りと同じでも一向にかまわない」という人も一定数いることも知った。

どうして新年にわざわざ目標を立てるのか。区切りだからなのか、お正月で暇だから未来を見通すのか。だったら目標とは暇つぶし以外のものではない。人は目標なしでも生きていける。未来の自分をうまくイメージできないと、どんどん腐っていってしまうようにかんじるがそれは錯覚だ。そういえばこの前会社で会社の文句を言うコーナーがあって、みんな悪口についてはそれぞれかなり筋の通ったことを言うが、二時間目になって、今度は「じゃああなたの理想の職場とは?」という問いをすると、ほとんどまともな意見が出なかった。私は自己啓発書等で「未来のイメージ」的なことが強調される理由がわかった気がした。私は自分の理想や目標を明確に描ける人は周りよりも一方先んじることができると思った。

思うがままに書いたらまったく筋の通らない文章になってしまったが、これはどちらも私の考えであり、私は普段は目標など糞食らえの立場だが、例えばこのように「未来を描く意味」みたいなことをたまには考え、普段の自分に立ち向かわせないと、私自身が糞食らえになってしまう。というか、みんな未来だ、目標だ、と言う割にはびっくりするくらいそれへの態度がない。だから人は宝くじを買うのだろうか。一昨日実家へ行ったら父が宝くじの発表っていつだっけ? と言い、妹がもう出てるよと言い、なぜ妹も知っているのかと言うと妹も買ったからで妹は300円当たった。それを聞いた父はまあそうだろうなという反応をし、自分もまた300円だろうと言った。私はこのやりとりを子供の頃から何度も見ている。父母は年末に年末ジャンボを買い、それをカレンダーに洗濯ばさみで挟んでおくが、発表のことなどやがて忘れ、というか父母が自分の番号が当選しているかどうか確認する姿を私は見たことがない。私が子供の頃は数字の確認を買って出て新聞を開いたりしたが、こんな桁数の多い数字が一致するなんて、途方のないことに思えすぐに嫌になってしまった。その後妹や弟が私の跡を継いだかは知らないが今ではみんな大人になって、それぞれ忙しいからわざわざ他人の宝くじの番号合わせなんてしないだろう。つまりもう十年以上父母の宝くじは放置されている。私は年末に何人か宝くじを買ったという人の話を聞いたが、みんな仕事をやめるとか世界一周するとかそんなことばかり言う。世界一周したって仕事をやめたって、人生はずっと続くのにどうしてぱっと出の花火みたいなことばかり言うのだろう。宝くじは夢を買うとか言うけれど、代わりに未来を売り払っているように見える。