意味をあたえる

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発想力という発想

本屋で発想力を鍛えるみたいな本を見ておどろいた。中身ではなく背表紙? 裏表紙? とにかく棚の中で縦長の状態でおどろいた。今までの人生で発想に困ったことはなかった。学校のときはよくアイディア係をやった。学校行事のために体を動かすのが面倒だった。体育だけで十分だった。しかしアイディア係と認識しているのは私だけで、結局他の人と大差なかった。誰もが面倒なことをしたくなかった。私は今でもそうだが、思いつかなくて困るということはまずなく、思いつきすぎて困るとか、思っていることが伝わらなくて困るとか、そういうことのほうが多い。思いつきすぎて困るというのは、思いついたことをぜんぶやらないとサボっているような気になってしまうということだ。これについては最近はアクションを起こさなかったものは、最初からそうすべきでなかったものだと思うようにしている。時間が解決するパターンもある。20代の前半まで私は時間の価値だとか、本当の価値に気がつかなかった。時間は多くのものを劣化させ、あきらめさせる力を持っていた。確かに20年そこらでこの力に気づくのは至難である。20代じゃ周りのものがまだまだ新しいからだ。就職したら自分よりも年上が一気に増え、そういう人が
「そのうちになんとかなるよ」
とか言って、最初の頃はなんて無責任なことを言うのだろうと思ったが、あまりになんとかなるから、時間てすごいと思った。本当にどうでもよくなるのである。私の短所はトラブルや問題に遭遇すると、反射的に2、3の解決策を提案してしまうことだ。これは大したことのない雑魚みたいなトラブルならいいが、大きな問題のときにはむしろ深みにはまって新しい問題を生み出す上、結局解決が遠のいてしまう。大きな問題のときは、まずその問題を認めるところから始めなければいけない。そうして自分の感情的なぶぶんを排除し、どうにかなりそうなぶぶんは放っておくのである。時間が許すのなら、「解決とかもうそんなのどうでもいい」という状態まで持っていくのが理想である。主に仕事だとそうはいかないが、粘り強くやると、相手がころっと忘れることもあるから、やってみる価値はある。そうやって日々背負う荷物を軽くしていくのである。

発想力については、嫌なことを延々とやらされると新しいアイディアが出やすい。