意味をあたえる

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千と千尋の神隠しを見た

千と千尋の神隠しがテレビでやっていたのをビデオにとって見た。私は以前も千と千尋についてブログの記事を書いたと記憶していて検索するとあっさり出てきた。

千と千尋の神隠しは子供向け - 意味をあたえる

二年以上前の記事であった。読み返すと、なかなかよく書けていると感心した。思うことも今回とあまり変わらない。やはり銭婆が出てきてからがつまらなくなる。理由について考えるに、あの湯屋の立派な建物から離れてしまうからではないかと思った。あの建物は「もののけ姫」でいうとタタラ場で、「天空の城ラピュタ」でいうとタイガーモス号なのである。それらの映画もそこにいるときがいちばん楽しく、離れるとつまらない。しかしこの二つは最後もこれらの施設で終わったからよかったが、千と千尋はもう出てこない、少なくとも内部は。だから、私は千と仲間たちが電車に乗るあたりで見るのをよした。建物が好きなのかもしれない。天空の城ラピュタもなんだかんだ一番好きなのはタイガーモス号の中をうろうろするシーンだ。私はそういえば小学校入学したての頃に学校内を案内されたときに三階とかに行ったときに、
「これは迷ったら一大事だぞ」
と感じたことを今でもおぼえているから、建物が好きなのかもしれない。渡り廊下とかが好きだ。渡り廊下の記憶ももちろんある。

今回とくに感じたのは千尋が湯屋にやってきたばかりのシーンで、何をしていいのかわからずに突っ立っていて親切な人やそうでない人と関わるシーンに強いシンパシーをかんじた。私が働き始めたときも、やはり最初は何をしていいのか見当もつかずに手持ちぶさたであり、適当なところに突っ立っているとわりと頻度の高い棚の前だったりして、
「邪魔」
と言われたりした。このときに「邪魔」と言う人はたいてい親切な人なのである。しかしそのときはまだわからないから「まいったな」とか「やれるかな」と思ったりする。千尋はそれからとりあえず無我夢中でやってみて、やがて棚の配置にもなれ、そこが自分の家みたいにかんじたりする。それが自分の頭くらいあるようなあんまんにかぶりつくシーンである。ベランダの柵の隙間から足を投げ出し、いかにもリラックスしている。このとき彼女は入ったばかりのころの自分のことをすっかり忘れているのである。こういうところが実にリアルだと思った。映画は何かを成し遂げなければならないから、だんだんとファンタジーになっていくが、私はこういうのをずっと見たい気もしたが、変にトレンディドラマみたくなってもつまらないと思った。

しかし、千尋は最初割とみんなに冷たくされ、そういうぶぶんに私はリアルをかんじたが、私はもうそういう時代でもないのかもしれないとも思った。今の時代は会社が人を育てるのではなく、求められるのは即戦力ですみたいなことを耳にするが、それは例えば会社における先輩とか上司もそうだから、冷たくあたってくる人というのは単に不親切な人ということになって、そこで社内の評価を下げてしまう。だからどんな相手でもまずは「あなたの権利を認めます」的な態度に出なければならない。