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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

伊集院光がいいこと言う

すこし間が開いたがようやく「100分で名著」のレヴィ・ストロースの第一回を見ることができた。以前も一度見たが、そのときはとちゅうで寝てしまったから見てないのと同じだった。録画したものを見た。録画の一覧にはまだ誰も見ていないものには「New!」の表示が出るが一度でも再生すると表示は消えるから、家族の誰かに消されるんじゃないかと私は思っていたが消えていなかった。私の家の録画機器のハードディスク容量がどのくらいなのかは知らないが、あんなものはいくらあっても同じことでもうほぼ満杯である。我が家の場合キスマイの番組は基本消さないからもう自由に録画できる領域は限られている。そうすると私が見たい番組なんて他の人は誰も見たくないのだから、何かの拍子に消されてしまう可能性が高いのである。

しかし私が「消されたらそれはそれでかまわない」というスタンスが功を奏すのか、私が録画した番組はだいたいそのまま残っている。消されたくない、と強く願えば願うほど消されてしまうのである。あるいは、ただでさえ他の家族と比べればほとんどテレビを見ない私が、これ以上テレビというものに絶望しないために、家族が気を遣ってくれているのかもしれない。しかし私はテレビのあの「管理されるかんじ」が好きになれないのである。インターネットが一般化され、ようやくテレビが好きでないことを表明しても変な目で見られなくなった。インターネットも好きになれない面もあるが、少なくともテレビほど「みんなが見ているから見なくちゃ」みたいなかんじがなく、あくまで主導権がこちら側にあるからいくらがマシだ。でもやっぱり「みなさんご存知の○○」みたいな話の振られ方をされると鬱陶しい。

インターネットのコメントの下品さを見ながらこれは何かに似てるなあと思ったら子供の頃さんざん食卓で聞かされた父のボヤきだった。父は仕事や家庭にはボヤかなかったが、読売巨人軍に対してだけは言いたい放題であった。それと、世の中に対して悲観的なことを言うことがあり、この前会ったときも「トランプが大統領になって、第三次世界大戦が始まる」と私に話した。そういうのがいかにもネットっぽい。去年の後半から、ペナントレースの数字を追いかけるのが楽しく、それが発展してネットのテキスト速報や、コメントを見ていたら、その内容が父のぼやきそのもので、私は懐かしくて夢中で読みふけった。

話は戻るがレヴィ・ストロースのトーテムポールの話が出たときに伊集院光が日本の昔の店の暖簾を引き合いに出して、日本人も同じみたいな話に持って行ってするどいな、と思った。あるいは番組に言わされただけかもしれないが。しかし、「日本人も同じ」という言い回しはよく考えると欧米側に寄った言い方で、ほとんどの日本人は自分たちは欧米人だと思っているのかもしれないが、当の欧米人からしたら嘲笑ものなのかもしれない。