意味をあたえる

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死の相対化のチャンス

三田文学保坂和志特集で、岡英里奈という小説家が、保坂和志と話したときに
「我々も何百年後の人からしたら、江戸時代みたいに「明治維新時代の人」みたく言われるんだろう」
みたいなことを言われた、ということを書いていて、そう考えると死ぬこともそれほど怖くない気がした。例えば江戸末期に暮らしていた人の関ヶ原の戦いの感覚は、私における日清戦争みたいなものだろうと思ったし、厳密に考えるともっと前だ。私の祖父の祖父は日露戦争で死に、それは子供の頃に聞かされたことだったからもうどの戦争だか、果たして戦争だったかもはっきり思い出せなくなっていたが、少し前、去年の夏頃に子供と小学校の近くの神社に行ったら石碑が建っていて裏側に戦没者として祖父の祖父の名前が掘られていた。それは日清戦争から太平洋戦争までの、村の出身者の戦没者の名簿だった。小さな村だったので、石一枚におさまったのである。村は合併してほどほどの自治体になった。私が生まれるずっと前の話である。私は石碑のある神社には小学校とか中学校とかで何度も行き、夜中に肝試しに行ったこともあったが、そこに身内の名前があるなんて全く知らなかった。石碑は比較的新しい石の階段の上に建っていて、小学校の授業で行ったときに、その階段を下った。階段の段の端は斜めになっているから、そこに両足を乗せると下に滑るから、
エスカレーター」
とかいいながら滑り降りた。しかし実際は石がごつごつしているから、滑るのはほんの少しで、あとは歩いた。そのときの担任は私のクラスをもって定年退職したから、もうとっくに死んだだろう。と思ったが仮に生きていてもまだ90歳とかだから、意外と生きていても普通だった。もう私のほうが数段賢いだろう。このおばあさんみたいな担任は私が賢い人だと思っていて、たまに私用に難しい算数の問題などを出してくれたが、私はそういう“私用の問題“のプレッシャーに負けて、いつも解くことができなかった。だから私は平均的な小学生だった。