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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

お疲れさまですが鬱陶しいお年ごろ

自分の父親が頑固なほうなので、それが生来のものなのか加齢のものなのかわからないが私はそういえば勝手に加齢のためと思ってそうはならないよう気をつけた。気をつけてどうにかなる問題からわからないがひとつの生き方として他人の顔色を見て生きるのいうのがある。他人の顔色ばかりうかがうのはよくないとよく言われるがそれは現代の個性尊重主義の弊害であるから実はそんなに悪いことではない。私は「私らしさ」の類の言葉が嫌いだ。「私らしく生きる」なんて卑怯な言い回しをせずに「嫌なことから距離をとって生きます」と言えばいい。後ろ向きの言葉逃げの言葉が人を駄目にするというがこれらは表現の違いにすぎない。言い回しが大事なのかもしれないが私は本質のほうが余程大事だ。だから私にとっての理想は我を通そうとする人にいかに気持ちよく道をゆずるかという一点にあるのだがやはりおかしいと思うことには黙ってられない。


年のせいかはわからないがお店の人や電話の相手の態度がだんだんと目につくようになってきた。私は昔コンビニでバイトをしていて安い時給だったからその程度の仕事をすればいいと思っていたからおしゃべりばかりしていたので店員の態度にいちいち腹を立てたりするのはお門違いだと思っていたがそれでも目に余る態度はある。ちょっとそりゃないんじゃないかみたいな接客をされると「ちょっとそりゃないんじゃかいか」と言いそうになる。喉まで出掛かってこらえる。若い学生みたいな人なら言わずに良かったと後から思うが胸元を見ると「オーナー」と書かれた中年男性でこれはいくらなんでとひどいと思うがそれでも言わなかった。代わりに相手に合わせるというのはやる。ぞんざいな態度でくるならこちらもそういう態度にでるまでだ。昔やっぱりコンビニでやっていたときに逆にレジにくる度に「お願いします」とか「ありがとうございます」と挨拶する若い男性客がいて私もこういう客にならねばと思いいつも商品をレジに通すときには「お願いします」くらいは言うようにしている。その若い感じの良い人がいつもと違う時間にやってきてそのときには女の人を連れていたのを見たときに私はなんだか微笑ましい気になった。ちびまる子ちゃん風に言うなら「アンタ本当に良い人と出会えたね。この人はアタシみたいなただの下っ端店員にもきちっと挨拶してくれる心の気持ちよいヒトなんだよ」と彼女に伝える感じである。


話を戻すが最近では仕事の電話で同僚に「お疲れさまです」と言われるのもどうかと思うようになってしまった。朝から立て続けに電話を受け若い人に「お疲れさまです」と言われる。私は「おはようございます」と返す。本社のとある部署では部内ルールで「お疲れさまですは絶対に使わない」というのがあって自分らの自己満足でやるなら一向に構わないが電話で「お疲れさまです」と言うとかぶせ気味に「こんにちは」と挨拶してくる。「こんにちは」なんて散歩のときにしか使わない挨拶なのだから三時になったら紅茶を律儀に飲むような人たちのもので私たちは水ばかり飲んでいるから「こんにちは」なんて真顔で言えない。だから馬鹿じゃねえのと思い「「お疲れさまです」とあなたは言いますが私は疲れてないです」と言われたら「このしっちゃかめっちゃかな世の中で疲れを感じないなんて貴方は相当鈍感な方なのですね」とケンカをふっかけてやろうと思うがそんなことは一生起きないだろう(と書くと案外起きる)。