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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

組木パズル

組木パズルみたいなのが好きで、前にガチャガチャであったから買ったりした。がちゃがちゃだから比較的小さくて難易度も低かった。しかしからくりを見つけたときはときめいてしまう。ガチャガチャといえば以前くにお君の大運動会のガチャガチャがあって「これはほしい」と思ったがそのときは子供が一緒にいて私の子供はまだ小さかったから私が買えば自分もほしいと言い出して、その子供のぶんの代金を惜しがって「また今度買いにくればいいや」と思ってそれは近所のショッピングモールだったから今度と言ったって下手すりゃに2、3日後の話だからまさか買えなくなるとは思わなかった。近所というのは道一本で2、3キロくらい行った道でそれは近所とは言わないと言うかもしれないが都会の人が定義する「近所」だとパン屋と地区の集会所しか私の家の周りにはない。少し歩けばヤマダ電機がある。私は年に一回くらい散歩をしたときに帰りにトイレを借りた。「やまーだ・まーだまだ・負けないぞー♪」の例のBGMを聞きながらオシッコをした。小便器の上に浄水器のポスターが貼ってあった。いつもそうだがここの店員は元気がない。パートのおばさんも幸の薄そうな人ばかりだ。財布を持ってこなかったから買い物はしなかった。散歩のことはどこかの記事に書いたと思う。


とにかく私はくにお君のガチャガチャを買いそびれてそれがここ数年のいちばんの後悔だ。私は物を欲しいと思うことが滅多になく、たまに「ほしい」と思うとすごく明るい気持ちになる。物を欲しくなると行動的になる。くにお君は惜しいことをした。以来ガチャガチャは熱心に見ることにしている。しかしガチャガチャでほしいと思うことなんて、それこそくにお君が最初で最後だ。冒頭に組木パズルを買ったと書いた。しかしそれも「組木パズルを好きな私なら買っても後悔しないだろう」という打算と組木パズルを好きだという私のパーソナリティを維持するための行為なのである。パーソナリティはがんばって維持しないと簡単に私が私でなくなってしまう。気を抜くと私は何も欲しくなくなってしまうのだ。