意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

がんばったって結果が出なければ意味がない

NHKの朝ドラ(録画)を鑑賞していたら主人公「すみれ」が娘で従業員の「さくら」にタイトルのようなダメ出しをしていた。さくらは親子でペアルックのエプロンをすみれたちに提案したかったが実物を作るのが間に合わなかった。他の人たちは程度の差こそあれ自分のアイディアを形にしてきていたのに。すみれはさくらに「なめてんの?」と言い放ち傷つくさくら。しかしその晩さくらは夜通しエプロン(大)(小)を縫い上げるのだった。風呂から出た父は「風呂出たぞ」と廊下からさくらに声をかけるがさくらの反応が鈍く心配になって中を覗くとさくらはエプロンづくりに没頭していたのであった。これにはさくらの雇用主でもある父親はにっこり。さっそく配偶者のすみれにそのことを伝えるのであった。


私がまずありえないと思ったのはさくらが父親のあとにすぐ風呂に入らないことであった。私は朝ドラをちょこちょことしか見ていないから判断がつかなかったがこれが冬とか寒い季節なら湯が冷めてしまう。冷めたらまた沸かさなければだからガス代が無駄だ。さくらの自己満足の仕事がどのくらいの付加価値を生むのか知らないがガス代を考慮しないのは愚である。これが独身時代の私であったら風呂の間隔があくことになんの違和も抱かないが結婚した今では我慢ならない。我が家では風呂が仕事より勉強より優先される。仕事は言い過ぎかもしれない。しかし私がもしも自宅で事業を行っていたら間違いなく「仕事なんかしてないで風呂に入れ」と注意される。おかしいのかもしれない。私の実父母は風呂にかんしてはまったくの無頓着で父母自体が朝風呂朝シャンは当たり前だった。冬の朝にシャワーを浴びたいと言えば「風邪を引くからちゃんと風呂を沸かせ」と怒られた。色んな考え方がある。どちらがいいのかわからない。しかしドラマの中のさくらの家は金持ちだからガス代なんかいちいち気にしないのだろう。


残業についての記事を定期的に目にする。残業0は確かに理想だが実現するには従業員側のセンスも要求される。終わりが決まっているのだから特に夕方があわただしい。私は残業のない職場にいくつか勤めたが定時で帰るには強烈なリーダーシップをもった人が信念をもってのぞまなければできない。加えて成果に無頓着じゃなければ難しい。間違っても仕事に愛着を持ってはいけない。できれば室内も汚れていたほうが「早く帰りたい」と思える。変に環境が整うとダラダラと居残ってしまう。私は能力よりもいかに妥協できるかとかいかに仕事に希望を見いださないかというほうが重要だと思う。


一方でがんばってやり遂げるみたいなのが礼賛されるのは冒頭の「さくら」が徹夜でエプロンを仕上げたようにドラマでそういうのが美しく演出されるのも大きい。がんばっている人は美しい。当たり前だと誰もが思うがいい加減そういう価値観が相対化されても良い頃だ。徹夜明けの「さくら」は重役たちが会議している場に乗り込んで自分のアイディアを披露する。「悪くないんじゃないの?」と一同。私が他の従業員なら「冗談じゃない」と思うだろう。納期を守って発表しボロクソ言われた一方で社長の娘はもてはやされる。末端の従業員が重役たちに好き勝手言われるシーンは見ていて切なかった。私も似た経験をした。30歳前に転職活動をしたときにぽっちゃりのスーツの髪をひっつめた女に「この程度じゃいらないです」と言われても笑顔で「がんばります」と意思表明して馬鹿みたいだった。面接という制度は極めて馬鹿らしい。にこやかに終了しても最後には「社長からOKがもらえなくて」みたいなことを幾度となく言われた。今勤めているところも面接があったがアロハシャツを着たおじさんが「テストで点が良かったから」と言ってその場で採用を決めてもらった。アロハシャツのおじさんはカタギじゃなかったらしいが。