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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ひとりの時間がないとと言うのはいかにも子供っぽい

幽遊白書の歌で「街の人ごみでひとりぼっち」みたいなのがあってそういう風に日常でひとりになるほうほうはいくらでもあるのにわざわざ別室を用意してもらいそこで悠々自適に暮らしたいというのはいかにも虫が良い。私にもそういう願望はあるがそんなのをわざわざ表明しようとは思わない。いつだってお母さんみたいなのがいればいいなあと思う。母は「あなたが犯罪をしたらちゃんと自首するよう説得しますよ」と言った。そういうのがいい。「まさか」とか「なんで」というのはまったく私の身になっていない。しかしそういう風に親身になってくれる人は今はいないので探せばいるのかもしれないがもういないと決めつけてしまったほうが私も気楽だ。親はまだ生きている。


私は大人で結婚もして子供もいるので迂闊に「ひとりの時間がないと」などと言えない。そんなものは皆無であり皆無と思わせて実のところいつだってひとりなのである。例えば私は人の話はもういつでも話半分でしか聞いていない。半分で聞いて半分余ったぶぶんを自分に割り当てるのである。さらになんでも自分に関連付ければ他人の話はすべて私のアイディアとなるのである。他人のふんどしで相撲をとるの思考版である。


あとは細かいテクニックとして趣味を合わせない明かさないというのもある。趣味が人とあってしまうともうそこで自分の時間はおしまいである。同じ話題で盛り上がれば楽しいでしょ? という人はもう自分の時間の確保はあきらめ一生他人に依存して生きるとよい。私はそういえば趣味の話になって愉快だったことはない。いつだって私は相手に話を合わせているだけである。相手が不快にならないよう楽しく自己主張できるように熱心に相づちをうち目を輝かせる。当然そんなことが長続きするわけはない。私は趣味は趣味話は話と区分けしたほうが楽なのである。趣味は結局は誰かを疎外する装置である。自分が楽しければ相手も楽しいはずというのはただの願望であり自己満足である。私は部屋に10人いたら10人が同じだけ楽しい気持ちになる話をするのが理想と思っておりそれには趣味は役に立たないのである。