読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

SO YOUNG

今から20年くらい前の今時期にイエモンの「SO YOUNG」という曲が発売され私はそれを初めて聞いたのは川越の街をぶらぶら歩いているときだった。雑踏にまぎれてとぎれとぎれに聞こえ最初吉田拓郎の歌かと思っていたらよく聞いたらイエモンだった。イエモンだとどこかの時点で確信できたからその前にすでに聞いていたのかもしれない。春であった。川越は20代中頃まではよく通った街で車でも電車でもよく行った。私にとってはいちばん身近の都会であった。そのときもいつかはこんなにも来なくはなるだろうと思いながら来ていてそしていつからかほとんど来ることはなくなった。結婚して最初の頃はよく電車に乗ったがそれも乗らなくなった。若い頃滅多に電車に乗らない年寄りが「切符の買い方がわからない」と言って馬鹿かと思ったが私も自信満々で買えるか不安だ。切符を買うという発想自体古い。


それで久しぶりに川越に来ることになって車で来たが道が細くなっているとかんじた。よく子供のころ通った道が短く感じたりするが私は大人時代にその道を通っているから細くかんじるのは奇妙なことだった。さらに奇妙なのは久しぶりに川越にきたという私自身で実はせいぜい1ヶ月くらい前に同じ道を通っている。何年か前にその道で中村玉緒を見かけて大騒ぎしたことがありそれをブログにも書いた気がする。テレビの撮影だった。その後私は奇跡的にそのテレビ放送を見る機会があり私自身も通行人としてテレビに映るのではないかとわくわくしたが映らなかった。私が映るのはせいぜい電気屋の入り口にあるビデオカメラのデモの映像である。


春という季節からイエモン経由で思い出したから20年ぶりと錯覚したのである。


その後妻が同じ模様の服を来た女が自分よりも細いからと不機嫌になった。女は子連れで鷲鼻だった。ショッピングモールの中で子供をカートに乗せたまま女はジュースを買いに行った。子供はずっと母親の姿を視界に捉え視界から外れなければ子供は泣き出さない仕組みだった。私はその子供の様子を見て死ぬことなんか怖くないと思った。私が子供だからである。それとがたいのいい灰色のニット地のコートを来たカナダの山奥の熊みたいななりの女がフードコートで店員しか開けないような引き出しをがんがん開けていて何かを探していて私はそれも興味をもって眺めていたが女はやがて目当てのものを見つけて大人しくなった。