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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

土葬

義父母と墓参りに行きそれは義母の実家の墓で私が初めて訪れた墓であった。もしかしたら一度くらいは来たことがあるのかもしれないが墓というのはどこも同じような外観をしておりたいていは直方体の縦長の石を組み合わせたものを墓と呼ぶ。だけれども今日のところは墓同士の間隔がせまいうえに新しい墓の周りに古い墓が取り囲むように配置するという独特の外観だったのでおそらく初めてだろうと判断した。古い墓石は角が丸まっているから風雨で削られたから年月が経ったのだろうと判断した。寺の方はコンクリートの地面がありさらには門の前にロータリーもあった。義父の墓の方はもっと寂れていて寺には誰も住んでいない様子であった。障子がやぶれコンクリートも途中で途切れそこに水たまりができていた。水たまりは周囲の泥をやわらかくし私は靴が汚れるからそこを歩きたくはなかった。寺の床はどこでもそうだが高く床下には空間があった。寂れた寺は壁も汚かった。少し行くと焼却炉がありそこに枯れた花や線香の箱などを人は捨てるのだった。


私の生家の寺は寺の中では繁盛しているようで墓は碁盤目状にならび線香に火をつける場所も確保してある。私は大人たちが寄り添って線香の箱や花をくるんでいた新聞紙を使って火をつける様子を眺めるのが好きだった。ときには私も枯れ葉を集めるのを手伝うこともあった。私は火を扱うことに馴れた人に無条件に尊敬する思考の癖があった。だから墓がもっと整備されて火をつける場所が決められてそこに鎖につながれたチャッカマンなどがあるとがっかりした。最近のお墓にはたとえば野球に縁があった人などは野球のボールを模した墓石などがよういされたりと色々バラエティーに富んでいる。


墓参りという行事は子供が小さい頃は墓のすそに子供を座らせたり立たせたりすると周りの大人が喜んでそれで暇がつぶせたりするがある程度成長するとあまり興味をもってのぞめなくなる。水をくんだりとかも適当に他人に任せればよい。義父の兄つまり私の義理の伯父は先祖代々の墓に芝生を植え晩年はいかにも几帳面にそこにはえる雑草を毎朝抜いて過ごしたがやがて死んで墓は荒れ放題となった。墓は周囲と比べてそこだけがまぶしく私はあまり墓参りをしたいと思わなかった。伯父じたいも我を通す性格でしかも私も若かったからついつっかかったりして正月に会ってもあまり話はかみ合わなかった。大仰に奥からノートパソコンを取り出すから何をやっているのかと思ったら家系図を作っていてその末端に私の名前もあって私はあまりいい気はしなかった。パソコンといえば今ならインターネットと同義でインターネットのないパソコンなんて想像もできないがこうして自己満足の高低にはインターネットはあまり関係ない。むしろインターネットで傷つく人は大勢いるからそういう人はLANケーブルを引っこ抜いて自分の先祖を指折り数えたらいいんじゃないか。無線LANの人はルータの電源を切ろう。