意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

悪夢のような

昨晩友達と飲みその前昼間に小腹が空いたからとよくわからない名前のクラッカーを食べた。前日に子供が小さいクラッカーを食べていて一枚分けてもらったらおいしかったので今日はクラッカーを食べようと思った。私は今でもお菓子を購入するときに後ろめたさをかんじることがありしかし大人だから大丈夫だと気を取り直し大人になって本当に良かったと思っている。大人は何を食べようが食べまいが自由なのである。しかし妻子がいたり健康の限界があったりするからその自由は限定的なのだが。


リッツを食べようと思い翌日セブンイレブンに行ったらなんとそこにはリッツも類似のクラッカーも何もなく仕方なくPASMOのチャージをして店を出た。PASMOのチャージは翌日今度は会社の飲み会があって電車で会社に行くためである。電車とバスに乗らなければならなかった。子供の頃バスというのはとにかく時間通りにこなくて待って待ってようやく来るという極めてストレスのたまる乗り物だった。都会のように来たバスに乗ればよいという発想では平気で一時間二時間待たされるのが田舎なのである。だから時刻表に並ぶ数字を穴があくほど眺めその前に当時はインターネットはおろかデジカメもないからバスの時刻を把握するためには一度バス停に行って時刻表を手帳に書き写さなければならなかった。私の家からバス停は昔は近かったがいつの頃か場所が変わりしばらく歩いて歩道橋も渡らなければならなかった。そうなると少し余裕を持って家を出ようという発想になって余計に待ち時間が増すのである。暇だったので道端の日産のディーラーの壁によじ登ったりして時間をつぶした。バスに乗るのはおばあちゃんちに行くとか祭りに行くとかそういう楽しい気持ちのときなのでなおさら待ち遠しかったのだろう。電車もそうだが大人になると色んな感情で乗るようになりそうなると子供の頃の楽しい感情が上書きされてしまうようで空しい。通信に関してはかなりのイノベーションがあって黒電話だとかは子供の頃に居留守を使った感情そのままで残ったが乗り物は私が子供の頃とあまり変わらなかったのでやはりそう考えると何か乗り物に乗るとその度に過去が消えそうだから家にいたい。


私は復刻版というのにはあまり嬉しがらないたちでそれはドリフの全員集合がDVDになってやがていくらかテレビ放送されたとき私は子供の頃ドリフが大好きで笑いすぎて喘息の発作を起こすくらい好きだったが大人になって見たらつまらなかったので以来過去にこだわるのはやめた。