意味をあたえる

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宮沢賢治はとくべつなのか

今月の百分で名著が宮沢賢治で読み上げられた文章を耳にすると割合きれいな言葉クサい言い回しをしているとかんじ私は大抵そういった類は避けて通るようにしていてこの感覚はおそらく万人に通ずるものであると思うがそれでも宮沢賢治が評価されるのはなぜなのか。


そう思いつつもインターネットで改めて番組で取り上げられたコロナの詩を読んでみると思ったほどきれいでもなく杉の木がびろうどや昆布に例えられている。番組では生み出すのではなく自然が発する記号をキャッチしてもっともふさわしい人間語に置き換えるのが創作のエッセンスだとか語られていたが果たしてそうなのか。だけれども「宮沢賢治は家が金持ちだから」と講師の方がおっしゃって確かに食うに困らなければこんな悠長なこともできるのかもしれない。やっぱりテレビ番組だからつじつまの合うような取り上げ方をしてしまうが改めてコロナの詩を読むと思っていたよりもずっと長く書いている意味が拾えない。少し前に「春と修羅」を買ってみたがやはり同じ感情を抱いた。宮沢賢治の文章は激流である。とりつく島がない。しかしそれでも青空文庫のコロナの詩は読みがなが振ってあってインターネットの仕様なのか読みがなが振られると字そのものが小さくなってうっかりすると読み飛ばしてしまう。そうすると親しみやすい平仮名にすがるような読み方になり一応読んだ気になる。


春と修羅の書き出しの「わたくしという現象は......」という辺りはいかにもインテリぶっていて好感を持てるがしかし全体としてはなんの話なのかわからない。やさしそうな語り口であるが暴力的である。そういえば私は暴力的な文章(あるいは自意識に挑みかかるような文章)が好きであったがこんな風にとまどうのは宮沢賢治がインテリだからかもしれない。私の知っている暴力的な人は知識との共存をあきらめた人かそもそも知識と無縁の人だった。そうしたら宮沢賢治こそハイブリッドで最強じゃね? と思った。

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)