意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

そのうち仏にでもなってしまうかもしれない

子供の頃のサラリーマンのイメージとは人にペコペコしてばかりで格好わるいというものだったが大人になるとその他の多くの物事と同じように「そう単純でもない」という所感を抱く。この手のステレオイメージで引っかかるのがドラマに出てくる夫婦の描写でいまだに妻が夫に敬語を使ったり夫が妻に「おい」とか「お前」とか言ったりする。新しいドラマでも同じ。そういう風にしないと夫婦っぽくならない、というか手軽に夫婦っぽくしたくて妻に敬語なんか使わせるのである。私は妻の敬語に出くわすたびに「もうちょっとがんばろうぜ」とがっかりした気分になるのである。


もう十年近く前だがジブリ美術館に行ったらミニ映画館みたいなのがあってそこで地べたのような椅子に座ってミニ映画を見たら主人公は幼稚園くらいの女の子で途中でその父親というのが出てきたのだがその父親というのがスラックスを履いていて律儀にポロシャツをズボンの中に入れていて驚いた。こんな父親が今時いるのだろうかと思った。まるで昭和である。休日のショッピングモールだのに行ってこの手の格好をしているのはおじいさんである。めちゃくちゃダサいと思う。しかしそれは価値観だから向こうからしたらだらしない格好子供っぽい服装と思うからお互い様なのである。


最初に就職した職場は私服だったが一応接客みたいなこともするからあるとき本部の上司が「シャツをズボンに入れろ」と怒ってしかし本部は遠くだからまるっきり無視してたらあるとき突然やってきたりするからそういうときは慌ててシャツを入れた。そういう器用さのない人や美意識の高い人はスーツで仕事をするようになった。つまり私の年代の価値観だとシャツをインするくらいならスーツなのである。しかし私の職場の商売相手は割合くだけた人たちなのでスーツだと嫌がる人もいて私もせっかくの私服オーケーがいつのまにかなくなってもイヤだからやはりスラックスを一本くらい買おうかと思っていたらやがてやめることになった。