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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人は書く前に考えたことを書きたいと思う

出張に行くのだが朝余裕があったので妻の車のタイヤを交換した。スタッドレス→ノーマルである。暖かくなったのでずっと換えなければならなかった。スタッドレスの細かい溝が熱をもったアスファルトに削り取られる様を想像してプレッシャーをかんじた。妻がオートバックスでもどこでも勝手に換えてきてくれればと思う。しかし実際それはそれで不愉快ではある。去年か一昨年くらいに私がぐずぐずしていたら換えてきてしまったことがある。そのとき貼られたポジションのシール(左前、右後など)がそのまま使われている。ご丁寧に車を俯瞰したときにどこにくるタイヤなのかイラストが描かれている。その横には「そろそろ新しいのに替えましょうか!」みたいはメモが貼られている。どこでも良いわけではなく是非当店でというメッセージである。オートバックスとは少なくとも同じ業界ではかなり大きな企業でありそこで働く人はそれを誇りにかんじるのだろうかとぼんやり考えた。同じ模様のツナギを着て馬鹿みたいであるが馬鹿は私のほうだろう。しかしいつまでも下っ端でレジ打ちばかりやらされていたらステータスもなにもない気もする。


昨年亡くなった義理祖母のところに生前訪ねたときに私の孫は上がどこそこで下はどこそこにアルバイトで勤めたが優秀だから社員に登用されたみたいな話を延々と聞かされた。私はこの孫を気の毒に思った。私の妻なども孫であるが自慢の種は内孫ばかりであった。一方私の祖母はまだ存命だがおそらく私よりもよほど自分のほうが優秀だと思っているから私のことを自慢の種にしたりしないはずだ。


とにかく年老いた人のいい玩具にされないためには可でも付加でもない愚鈍な人間になるのがいちばんである。


オートバックスのタイヤのポジションシールを見ながらそんなことをぼんやり考えたがその後今日のブログはこんなことを書こうかしらと思い今思っても忘れるだろうなと思ったら忘れた。私はそういうことには頓着しないよう心がけているがそれでもいざ書くときになるとそれを思い出そうとしている自分に気づく。書くことなんて書きながら考えればいいのに最初の一文字はちゃんと思ったことを書こうとして書くのをためらう。これは私ひとりの問題ではなく多くの人も同じなのではないかと思った。私たちは考えるから人間なんだと思いこんでいる節がありそのため頭の中は常に文字や思想であふれかえっているようなイメージを抱くが実際のところ筋道だったものはなく衝動ばかりでスカスカなのである。