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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

スマホケースがディジーガレズビーみたいに

スマホケースが縦に割けたと数日前の記事で書いた。その割けたぶぶんが今日の仕事帰りにバッグの持ち手に引っかかって無理に引っ張ったらひしゃげた。それがまるでディジーガレズビーのトランペットのようであった。よくわからない人は調べてご覧なさい。私が割けたのはスマホの側面だったので細長い竹ひごのようであった。それが外に向けてひしゃげたのである。最後はぽきんと折れた。


しかし私はへっちゃらであった。なぜなら新しいケースをすでに購入していたからである。それは昨日に届いた。iPhoneのように雨後の竹の子のようにそこらじゅうににょきにょき生えて売っているわけではないからアマゾンで買わなければならなかった。あまり種類がなく黒いのばかりなのが残念だった。私は黒いのを買った。買うまではそのうち買えばいいと思っているが一度購入すると翌日には届かないと腹が立つのが通販である。もう大人なのであまり腹が立たなかった。子供の頃は頼んだらそれのことばかり考えていたが成長すると忘れてしまう時間が長くなった。ふっと気づくとすでに届けられていたりする。たいてい台所のテーブルにほかの郵便物と一緒にされていた。私の家は家族が多いから時間を指定する必要はなかった。義母は耳が悪いから人が来ても気づかないことがあるが配達人はそういうことも存じている風であった。昔の若い配達人は熱心な創価学会の信者で選挙が近くなるとある候補をよろしくと挨拶に来た。それは夜でそのときは手紙などを持っては来なかったから業務外だった。義父が「わかったわかった」となだめて帰した。そのころ義父は割と頼もしかった。今は誰それと昔同級生で同じサッカー部だったなんて自慢ばかりする。義父が十代のころにサッカーというスポーツがあったなんて信じられない。膝まで隠れるソックスが当時の日本にあったなんて信じられない。私の実父は中学は放送部と陸上部だったと言いそのほうがリアルだ。放送部なんて私が中学のころはすでになく私の中学時代は掃除の時間に「あくびがしたい」かあとはなぜかボウイばかりがかかっていた。そのときはもう解散していたがなぜか私の中学はボウイブームで私は興味がなかったがそんな私でもラストギグスという彼らの解散コンサートでは怒ったファンが会場の扉を破壊したということやベースの松井つねまつがファンに愛用のベースを盗まれて最後はいつものとは違う予備のベースでステージに立ったということを知っている。松井つねまつのソロアルバムも聴いたことがある。