意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

もう三年

あと10日くらいしたらこのブログは開設してから丸3年でそれからまた10日くらいあとに千日継続のやつになってしまう。千日は私の中でも「いよいよか」と思うぶぶんもある。千日っぽいことを書きたい気もするが特に何もせずに通り過ぎる可能性もある。「これまでの歩み」みたいなものを書くともうやめなきゃいけない雰囲気になりそうだ。実際三年やって思ったがここまで続くとやめるのもかったるくなってくる。時間がないと人は言うが私は書くのをやめたら今以上に暇になってもっと仕事をがんばろうとか恐ろしいことを考え出すかもしれない。とにかく時間というのは「ある」とか「ない」とかの尺度で考えても仕方がない。確かに私も一日中予定が入っていていつに更新しているのか自分でも不思議に思うことがある。私はこれじゃないブログのほうは予約投稿をしたりしたがこっちはいつもだいたいリアルタイムだ。二日に分けて書くということはまずない。書きかけでやめることもあるがそれはもう公開することはない。少ししたらぜんぶ消してしまう。まあそんなことはどうでもよい。


小説や漫画を読むとその登場人物みたいな心のしゃべり方になる。今は「インベスターZ」を読んでいるから中学一年みたいな口のききかたを心の中でしている。そういえば二つ前の記事で高校の女がと書いたがあれは中学の間違いだった。制服を着るともう中学も高校もないのである。しかし中学で「自分らしさなんて後回し」なんて言うなんてすごい。それに感化された友達が「私もJポップに元気をもらうのはやめる」と宣言していてその年で歌詞の空虚さに気づいてすごい。一方で主人公の財前には妹がいるがこの人は幼稚園児だと言うがどう見ても小学生にしか見えなくてこれはこれですごい。妹が人前で「お父さんが死んじゃやだー」と馬鹿丸出し泣くのである。幼稚園児だって知らない人の言葉を鵜呑みになんかしないからこの子供は子供を演じていて気持ち悪いのである。