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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

頭のよい人

幼いころから「頭がいいね」と言われて育ったせいか周りに頭のいい人がいない。理屈では私よりも頭のいい人が世の中にいくらでもいることはわかっているが実感として「この人頭がいいなあ」と思うことは皆無だった。そういう友人や集団に恵まれなかったという面もある。大抵は私より頭が悪かったので集団の中の「頭良いポジション」は常に私がとることになった。考えてみたら子供のころはサッカーが流行っていてサッカーがうまかったり運動ができる子がもてはやされ仕方なく私は笑いをとる方面に行くしかなかった。私は頭はよかったが勉強はあまりできなかった。成績にはムラがあった。自分よりも学年順位が上の人に勉強を教えることもあった。教えた人が満点をとることもあった。そのとき私は99点で平仮名を間違えたために一点減点されたのだ。それは本当に悔しかったから覚えている。私のほうが先に名前を呼ばれ99点なら私はクラスでトップだろうと思ったら満点の人がいてしかもテスト直前に私が解き方を教えた人だったから私が教えなければその人は90点とか97点とかで私がトップだったからである。しかし私は平気で平仮名を間違えたりクラスのほとんどが正解した問題を間違えたり詰めの甘いところがあったが私はそういうあまりガツガツしてない自分が好きだったのである。学生時代の私はとにかく暗記科目は初めから捨てていて捨てるというか授業を聞いていれば平均点は確実にとれるからもうそれ以上何を勉強すればいいのかわからなかった。私は自分でほどほどだと思っていた。しかし私は大変頭のいい人間だと思っていた。私の言う頭の良さとは着眼点とアイディアの良さのことであった。


しかし数日前にふと私の頭の良さとは単に周りを認めていないことに由来するのでは? と思った。つまり気づいていなかったのである。世の中に「自分は頭がいい」と自称する人はたくさんいる。また同じくらい「自分は口では負けない」という人もいる。これは単に負けを認めないだけだと話しているうちに気づいた。私が言葉に詰まるとさっさと勝利宣言をして話を終わりにしてしまうのである。その身の引き方には驚いた。私も頭に血が上るとまくし立ててしまうこともあるが普段はとにかく間違いの少ない道で論理を組み立てたいので自然と出足は遅くなるから言い合いでは勝てない。「口では負けない人」というのは下手な鉄砲を撃っている人のようでもある。最後は力業なのだ。私は一撃でしとめることを良しとするから自然と相手の出足をうかがうようになってしまう。


それでとにかく私は私以外にも頭のいい人がいる可能性について考えていてまずこの人は頭がいいだろうという候補の人が会社にいてこの人の良いところは先入観に惑わされずに良いものは良いと評価できるところであった。あと今日若い人がたまたま私の案に対して異議の電話をかけてきて聞いたらまるで数学の問題で別の解法を説くみたいな一見わかりづらいが検算するとバッチリみたいな説明をしてきて鮮やかだったので「やるじゃん」と誉めたら照れくさそうにした。