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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

体調の悪い人に「大丈夫?」と訊くとイラっとされる

季節の変わり目で今週は肌寒い日が多いため体調を崩す人が多い。体調管理も大人の嗜みなのでやたらと崩してばかりの人はプロ意識が欠如しているわけだが表面では「大丈夫?」「帰っていいよ」と気遣う。正直帰ってもらったほうが気楽なのである。息も絶え絶えに仕事をされると段々とこちらが拷問でもくわえているような気になってしまう。しかし帰ることを勧めても「今日は人数が」とか「納期が」とが言ったりして渋る。場合によっては何無責任なこと言ってんだみたいな反応をされる。正直それはこっちのセリフと態度である。いくら格好つけたところで周りに体調悪いことを悟られた時点で手遅れである。


そういう気持ちが態度に出てしまうのかこちらは優しく「大丈夫?」と声をかけているつもりでも相手からは「いや、だいじょぶじゃないっす」と軽く侮蔑を含んだような笑い声で言われてしまう。笑い声もしんどそうである。確かに大丈夫じゃないから体調が悪いのである。しかし私だってそのくらいの理屈はわかっている。わかっているが他にどう声をかけていいのかわからないからとりあえずいたわるのである。こういうときにはどう言うのがベストなのだろうか。本音は「もう帰ってくれ」なのだがいきなりそう言うとまるであてにしていないようで角が立つ。そうするともう少しソフトに「帰る?」「しんどかったら早退していいよ」とかなのだろうか。あるいは「家まで送るよ」とまで言えば100点だろうか。不思議なのが具合が悪くなってもみんななんとか自力で帰るのである。私もそうだ。車のときは休み休み帰ったし電車のときは後ろの窓枠に頭をつけたまま離れずにいた。ただでさえ途中離脱するのについて来られたらなおさら具合が悪くなりそうだからである。だからさすがに「送りますよ」とまでは言わない。


数日前のトピシュさんのブログで「自分の代わりはいくらでもいるがそう思いながら働くのは徒労でありきつい」という旨のことが書かれていてそういえば私の中にそういう発想はなくないというのは私は自分が代わりがきかないというのはひたすら驕りだと思っていたということだ。私はたぶん最初の勤め先に強烈な「自分がいなきゃ」の人がいてその人の悲惨な最期も含めて心に強烈に焼き付いてしまい自分しかできないということに恐怖すらおぼえるようになってしまったんじゃないかと分析する。確かに日々書いていることを振り返ると私は「自分が特別」という人にきつくあたる傾向がある。