意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

コロッケはご飯に合わない

昨日コロッケにご飯が合わない旨の記事を書いたが今ひとつであった。書いていればそのうちどこか満足できる箇所がありそうだったが最後までそれは訪れなかった。結局はコロッケがご飯に合わない以上のことはなかったのである。書かなくてもわかりそうだが書いてみなければそれ以上のものがあるかどうかはわからないのである。普段は書いていればどこかしらひとつくらいは満足できる箇所がありたまにまるで中身のないただただ言葉をならべるだけの文章を画面を埋めるためだけに書くがこういうのは書いているうちにどういうわけか
「こういう自分ではまったく気にくわないものほど読者は気に入るものだ」
という心境になりそれはそれで満足なのである。書き終えて「ああよく書けた」と思うものはろくでもないことは経験でわかっている。昔ドラムを演奏していたときイライラして仕方がないときがあって雑にこなしていたら周りの人に
「今日調子いいですね」
と褒められびっくりしたことがあるがすぐにそういうものなんだと悟った。だからといってじゃあ普段から雑にやりましょうと意識してやってもほんとうに雑になるだけなのである。たとえば考えないでいることは大変難しいがこれまでの人生でまったく考えないでいた時間はわずかでも確実にあった。調子の良い演奏ができたのはそういうタイミングだったのだ。「調子いいですね」という言葉づかいからわかるようにこのとき一緒にやっていたのは年下の人だった。彼らは普段は自分たちの名前の一文字ずつを組み合わせた名前のバンドを組んでいた。そこに女性のボーカルを迎え私はサポートで入ってなんかのコンテストに出たりした。コンテストは二番目の演奏順でそのあと二十組とか出るのでその後暇だったから近所の公園に行きそこは噴水はなかったが割と広くて日陰のたくさんある公園でそこで小学生がサッカーをしていたから混ぜてもらって遊んだ。小学生とサッカーをしたのはこれが最後だ。即席のこのベンチからゴミ箱の間までがゴールねみたいなのも最後だ。べこべこのサッカーボールも最後だ。確かにやっこいボールだった。その証拠にキーボードの人はサンダルを履いていた。私は彼らより三歳上だったから保護者のような気分だったがそれでも今からしたら信じられないくらい若かった。全力疾走ができなくなる日がくるなんて夢にも思わなかった。信じられないくらい足が遅くなった。スピードを出そうとすると足がもつれるようになった。まるで夢の中で走っているようである。それでも夢のほうがまだ遅い。