意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ほんわか日曜日

TSUTAYAで織田家家臣団の本を読んだ。今読んでいる本が読み終わったら読んでも良いと思った。


昨日仕事終わりに同僚と別の同僚の悪口を言っていて私は隠し玉として「あの人営業のナカノが異動になるとき3000円のQUOカード渡したらしいよ」と話したら周りは「まじかー」となった。ここだけ単独で読んでもなにが「まじかー」なのか分かりづらいがあるいはナカノが女ならなんか未練たらたらみたいで面白いがナカノは男だ。補足するとナカノの送別会は会社としてちゃんとやっていて参加者はプレゼント代も折半してプレゼントもしている。別の同僚Yはそういったものには一切関わらずに抜け駆けをしているのである。個人的に親しかったとかなら理解できなくもないがしかしそれはわざわざ律儀に送別会に参加した私に話すことなのだろうか。という意味の「まじかー」だった。


しかし昨日この話をしたときこの抜け駆け餞別の話を誰から聞いたのか忘れ今となっては本人から聞く以外にありえないしむしろ本人が自慢げというか自分が部署を代表して責任を果たしたみたいな雰囲気を醸し出すから「まじかー」なのだ。しかしそのときはそういう発想にならずもしかしたら餞別は私がYを憎む心が生んだ創作なのかもしれないとすら思った。ちょっとした記憶障害というか夢と現実がないまぜになっている状態だった。しかし私はYが憎いから嘘でもいいやと思った。餞別エピソードは別の人にもすでに話していた。私がありえないことのように話すから相手も「ありえないね」と同調してくれた。