意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

趣味読書でいいじゃないか

この前町田康の康が「こう」なのか「やすし」なのかわからなくて調べたという記事を書いたが調べたときに町田康の読書にまつわるインタビューの記事があって読んだら割と本をもりもり読んでいるようで仔細は忘れたが
「寝るまで読んで読み終わらなかったら起きてから読む」
みたいな答え方をされていて私もそれにならって寝ても覚めても読書みたいなことをしたくなった。今は宇宙の本を読んでいてそれを熱心に読んだらやがて読み終わったがそうしたら次は下巻をみたいなかんじだったので私はすっかり読み終えた気になっていたから仰天した。紙の本なら読んでいるとちゅうでも本を閉じれば表紙が目に入り自分が一冊物の本なのか続きがあるのか見当がつくが電子書籍ではそうはいかない。電子書籍には表紙というのは最初にしかない。当たり前のことをと思われるかもしれないがしかし紙の本のときは気分転換で表紙を眺めることもあった。表紙がなにかを暗示していることもあった。電子書籍というのは本当に文字しかないからそういう意味では味気ない。電子書籍は暗いところでも読めるから便利だが。


町田康はまた同じインタビューで小説を書くときにはめちゃくちゃな文章を読んで自分の文体を崩してから書き始めるということを言っていて私はそのめちゃくちゃな文章が読みたいと思った。文章というのは誰が書いてもそれなりになるというかむしろ下手くそに書くほうが才能がいるような競技であるが私はかなり上手になってしまったからそう思うだけで巷には文章力とかの本があふれているからみんなは自分が下手くそと思っているのかもしれない。私はやはり言葉は言葉の上にしか立脚できないと思うので下手くそな人はどこか写真でもとるような意識でやってしまっているのではないかと思う。