意味をあたえる

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ダリのような叔母

叔母の通夜に向かう電車の中で向かいに座った女がスマホと対面していたので私はスマホの裏側を見たらそこにダリの写真が貼ってあった。写真自体はプリクラくらいのサイズでそこにおさまりきらないダリの顔が目鼻くらいでおさまっていた。白目をひんむいたダリの顔がいかにもダリらしいなと思ったが私はダリにはぜんぜん詳しくなかった。ダリの裏をいじくり回す女は極彩色の柄のシャツを着ていかにも美大ですアピールがすごかったが美大生がスマホをいじくりまわすなんて私には信じられなかった。私は都心へ向かう電車に乗っていて都心へ近づくにつれ同乗者の様子が田舎のそれとは違っていて私は楽しんだ。例えば西武池袋線では切れ長の一重の目つきの鋭い男がスマホを繰っていてそれは扉タイプのカバーがつけられカバーの裏側に小さい鏡がついていて洗面所のようなスマホだなと思った。ひさしぶりに祖母の家にくると色々変わっていて驚いた。私が小さなころは駅を出るとすぐにアイスクリームパーラーがあってパーラーは私が中学くらいのときにつぶれてそのときですら懐かしさをおぼえたが昨日はついに出口そのものがなくなってすべてが吹き飛んだ。新しいトンネルを通行すると小便の臭いがした。ぜんぜん関係ないが今朝通勤途中にコンビニに寄ったら降りてすぐに吐瀉物があり分析するにそれはカップヌードルでそこに雀がちゅんちゅんやってきて砕けた麺や具をくちばしでつついていた。雨だったので臭いはしなかった。


叔母の通夜がある寺につき私はその寺をぐるっと回って入り口に入るとちゅうで私が最後にここへ来たのは少なくとも10年前でそのときに「もうここへ来るのは最後だろう」という思ったことを思い出した。正確にはそれは記憶ではなく感覚で私は日の沈んだ寺の壁面を見ながら「10年前に二度とここへは来ないだろうと思う感覚」を味わった。坊主が信じられないくらい長いお経を上げ周りのみんなは祖母は100万くらいお布施したのだろうと噂をしみんなと言っても参列したのは10人程度しかいなかったのですぐに祖母の耳に入り祖母が「そんなに払ってない」と否定した。そもそももらった額によってお経が長くなったり短くなったりするなんて嘘か本当か知らないが本当ならいかにも資本主義っぽくて坊主のインド人のような格好も単なるコスプレにしか見えない。私はお経を聞きながらこんなときホリエモンならどんなことを考えるだろうと考えた。別にホリエモンでも勝間でもいいがとにかく効率化の象徴である人々は長いお経を無駄だと思って「俺パスね」とか言って外に出そうとか思った。確かにお経が流れている間は故人のことをあれこれ考えたりすればいいのだが長すぎるとどうしても雑念ばかりになってしまう。しまいには「この死が意味するものは何か」みたいなことまで考えてしまう。私は少年時代の死だと分析した。昨日も書いたように叔母は私の掘った穴に落ちたのであった。