意味をあたえる

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山下澄人「しんせかい」

昨日の大雨は台風だったということをだいぶ経ってから知った。夜中の十二時近くで静かになったので窓を開けて寝ようとしたら顔に雨粒があたったのでまた閉めた。私は夕立がなにかだと思っていたから夕方会社にいるときは待っているほうが得だと思ったがいつまでもやまないから雨にうたれながら駐車場の自分の車のところまで走った。駐車場はアスファルトだが水たまりになったぶぶんとそうでないぶぶんがあったのでそうでないぶぶんを選んで足をつけた。のでがに股になった。上半身が雨に濡れるのは嫌だが全力疾走をして靴やズボンの裾が泥はねで汚れるのも不快だから早歩きにおさえた。髪の隙間から雨粒が入り込んで頭皮をうちそれが汗のようにおでこをつたってきたので強い雨だと思った。


ところでアスファルトの水たまりとそうでないぶぶんができるということは地面がでこぼこしている証拠であるが今年の春に栃木から異動になってきた人が
「ここは土地がいくらか傾いてますね」
と言い建物の裏を指さすので見ると裏側のアスファルトが建物に沿ってひびが走っていた。たどうやら裏に行くほど地面が下がっているようだ。私はもうこの建物に七年勤めているがそんなふうに地面が規則的にひび割れていることにまったく気づかなかったし誰も教えてくれなかった。雨漏りはよくするからそれを栃木の人に教えただけでそれだけで彼は土地の傾きまで見て取ったのである。その人は大柄な人なのでもしかしたら前の事業所で
「お前が立つと地面がへこむんだよ」
と侮辱され以来土地の傾きに敏感になったのかもしれない。確かに私の事業所のほうは細いか標準内におさまりそうな人ばかりだった。私が入ってすぐのころは大柄のもいたがある日所長と喧嘩してやめてしまった。彼の営業エリアと私の住まいが近かったので
「どこかうまい飯屋ないですか?」
と訊かれたのでスイミングスクールのそばにある「はらぺこ食堂」を教えてあげた。私は昔そこに行って焼き肉定食を食べたがかなりの量だったから彼も満足するだろうと思った。本当に「はらぺこ食堂」なんて名前だったか今はもうおぼえていない。確かそこも床がむき出しのコンクリートだったと記憶する。


休みだったので洗濯物を干そうと窓を開けたら「緊急地震速報のテストをします」と放送があって間もなく例の不気味なこの世の終わりみたいなサイレンが鳴った。その後山下澄人「しんせかい」を読んだ。他の作品にくらべて分岐が少なく特に混乱なくすぐに午前と午後で読み終えることができた。あまり小説というかんじがせずどこか最近のブログを読んでいるようなかんじがした。とちゅうに強引に流れを遮断する文節を入れるところが私と似ていた。私の普段の記事を読んで苦にならない人なら読んでもいいと思う。

みんな【先生】に何かしら判断されるのをとてもこわがっていた。向いてないといわれるのをこわがっていた。だけど向いていないと【先生】がいったとしてもそれはあくまでも【先生】の意見であって、ほんとうにその人がそれに向いているか向いていないか、そんなことは誰にもわからないと思うのだけど、それでも【先生】に向いていないといわれれば、ここでこれだけやって「向いていない」といわれれば、やっぱりそれなりに傷つくかもな、と思うくらいには、ぼくもここの何かに、いつの間にかきちんと染まってはいた。しかしぼくは俳優というものに、なりたくなっていた、わけではなかった。なりたくなっていたわけじゃないのなら「向いていない」と言われても傷つく必要はない。ないのにそう思っていたのだ。染まるというのはそういうことだ。