意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

激しく電柱を蹴っている人がいた

車で出かけていたらとちゅうの道端で熱心に電柱を蹴っている人がいた。半袖短パンでまわりに人はいない。あまりに熱心なので何かの運動のようにも見えた。私が横をすぎるころには止んでいて1セットが終わったところだったのかもしれない。電柱には土ぼこりがついていた。畑の多い田舎道である。やはり電柱を蹴飛ばすのは良くない行為である。良くないからやはり何かに怒っていたのかもしれない。あるいは格闘家志望とかかもしれない。


用があって子供の学校に行った。用はすぐに済み帰り道校門のそばに夏によく葉を茂らす樹齢何十年かの木が立っていてそれが私の視界を遮り遮った先には雲と青空があり夏をかんじた。私は夏が好きなことを思い出した。その前に校庭のそばを歩いたらソフトボール部が熱心に土ぼこりを上げながら球を投げていた。上半身の筋肉が発達してそうだった。校門のところに守衛がいて守衛は熱心に新聞の折り込みチラシを見ていたので私が来たことに気づかなかった。その反対側に太い木があって日差しを遮り私は夏をかんじた。私は子供の学校に書類を出しにきていた。その書類に私の名前を書く欄があり上に長細い四角で「ふりがな」とあった。私は長い間その下のやや太い資格の名前を書く欄を書いてから漢字に対応できるようあとから「ふりがな」を書いたがやはり書類は上から埋めていくのが気分がいいと思い以来「ふりがな」を先に書くようになり特に対象の漢字の上に「ふりがな」が来なくても止むを得ないと思うようになり私はそのことに誇りすらかんじた。


ところで「ふりがな」は「フリガナ」のときがありこれは暗黙で平仮名かカタカナかを指定する記号であるがそんなルールがきちんと明文化されているのを見たことはなくひょっとするとトレンドか何かの類で今の人はかまわず全部カタカナみたいな風になっていたら渡す相手にも苦笑されたり年齢を推測されちゃうなと思った。


あと家の近くの道に何日か前に雀がつぶされていてそのことを子供に伝えたあとに実際にその道を通ったらまだつぶされたままで最初に見たときから2日くらい経っていたから雀はぱっと見ゴミのかたまりにしか見えなかった。よく見るとくちばしなどが判別できた。子供は興味を抱き車の外に出て観察していたがそこは狭い道なので対向車がきたら厄介だから私は車から降りずに前後の道路をその間見張っていた。