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子供を怒るのは気持ちがいい

人生案内 成績に一喜一憂 子供を罵倒する母親 山田昌弘先生の回答 - 別館.net.amigo

私は上の子が中学に上がったくらいまではよく叱ったがだんだんとこれは私自身のストレス発散ではないかと思いそうするとシラケてしまい以来あまり叱らなくなった。上記の記事で「怒るとは自分に酔っている」とあって確かにそうだと思った。子供を怒るのはお客様相談室にクレーム入れるのと似ていて反論のできない相手を私なりの論理で完膚なきまでに叩き潰すことである。私も最初のころは「この子のためにここはひとつ叱ってやろう」とまるで嫌な仕事を引き受けたかのような態度で子供を和室に呼んだりしたが内心はウキウキしているのである。それはいわゆる無敵状態というか試し斬りというかとにかく自分の論理の切れ味を試す行為なのである。和室は八畳ででかいテレビがあった。でかいというのは奥行きのことでそのころはまだ地上アナログだったのである。


特に私などは筋を通った話をするのが苦手でそれは話しながら「でもこういう例外もあるぞ」とか「相手の理解度はこの程度だから少し軌道修正しよう」とかリアルタイムであっちこっちわき見するからで最終的に何が言いたいのかわからない。そういう意味でも私が子供を叱ることによって得たものあたえたものは皆無であった。


あるいは加齢もあるかもしれない。いろんなことがどうでもよくなった。よくなったというか「こうでなければ」が減った。加齢のせいにするとあるある話になって思考が減るが例えばお手伝いなどを将来のためにやらせようとか思うことがあったが今は私がやるほうが早いと思うようになった。嫌そうにされると私が傷つくし今はなるべく傷つかないようにしようと心がけるようになった。そうすると他人をあてにするより自分が動いたほうが早いのである。また上の子は勉強があまりできず昨日などは学校から封書を預かってきて見ると夏休みちゅうはよく指導するようにということが書かれていて私は学校というところは大変だなと思った。子供に話を聞くと来週は歴史の補習だと言いいつの時代かときくとエジプトだという。なので私は織田信長の家臣団の本を読み終えたら今度は古代ローマとかあの辺で読めそうな本を探そうと思う。なにせ勉強をさせたり勉強をする気を起こさせたり勉強を教えるよりも私自身が勉強するほうがよほど楽だからである。当然それで子供の点数が上がるわけではないが三者面談で五賢帝の話をちらつかせれば先生もなんて教育熱心な親だろうと思ってくれるかもしれない。