意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

少年の証

朝子供を駅まで送っていったら水色のワイシャツにねずみ色のズボンを履いた男が全力疾走していてその格好が近くの私立高校の制服に似ていたので高校生かな? と思ったら中年だった。動く物体だったので年齢を見当つけるのに時間がかかった。それがバス停を過ぎたあたりで不意に後ろを振り返りその振り返り方が上半身の筋肉を余すことなく使ったような振り返り方だったので私はこの男は過去には間違いなく少年だったことを確信した。例えば鱈だか鯖だかよくわからない魚のヒレをぺりっとめくり
「ほらここが○○だからこいつは間違いなく鮭の仲間」
みたいなニュアンスで男の筋肉か神経のいちぶには少年のそれが残っているのである。そんな風に思えるのは私が男と大して年齢が変わらない・あるいは私のほうが年上だからである。世の中に頼もしくかんじる人が減ったのは世の中に年下が増えたためである。私は今朝若い人を叱った。
「話聞いてた?」
「俺言ったよね?」
なんて凡庸な言葉を吐く日がくるなんて思わなかった。しかし彼だって私が目印に貼っておけと言った紙をくしゃくしゃにして捨ててしまったのだ。くしゃくしゃにも色々あるが目の細かいかなり念入りにされたくしゃくしゃだったので余計に私はムカついた。野球ボールみたいにしてゴミ箱に放り込んだのだろう。甲子園の季節ですねとでも言いたいのだろうか。涼しい夏である。江戸時代も涼しかったのだろうか。