意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

書くことがないときは

書くことがないというか書く気が起きない今日この頃。そんなときは過去の記事をコピペしようと思っている。まったく同じ本文タイトルでも気づく人は皆無だろう。いちばん最初の記事からすべて読んだという人は私以外には皆無がいてもわずかだろう。たくさん書いて良かった。たくさん書くことによって読む人は私がほんとうのところどういう人でどういう考えで日々文字を綴ってあるのかわからなくなる。すべての記事において
「いや今日の記事は仮なんですけどね」
とつくろうことができる。ふつうそういうときは「ぜんぶ仮だろ」とつっこまれてしまうがたくさん記事があるから
「仮じゃないときも過去にはあったんですよ」
といい返すことができ相手はまさかこれからぜんぶ目を通すことなんてできないから何も言えないのである。過去があって良かった。過去は薄っぺらいだとか過去というものじたいの存在すら危ぶまれるが少なくとも過去は自分をカモフラージュするのに役立つ。ごまかしに使われるから薄っぺらいのか。