意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

牛乳石鹸の

話題の牛乳石鹸のCMを見たら割合面白いと思った。それはそれについて書かれた記事を読んだから抱いた感情かもしれずまっさらな状態だったらわからない。さらに私は最初は音声のない状態で見たので「俺の父親は」みたいなくだりは知らず単に回想映像が挿入されるだけだったのでまあ父親を思い出すことはよくあるよねくらいの受け取り方だったが実ははっきり言っていたことを後から知った。


私の父親も仕事人間であまり家にはおらず休みも昼まで寝ていたがそういうものだと思っていたから寂しいとかおかしいとかは思わなかった。一方で父のようになりたいとも思わなかったしまた理想の家族みたいなのもなかった。家族がほしいとも思わなかった。それはいらないという意味ではなく父母弟妹以外の家族の発想がなかったのである。だから仕事に打ち込んで家庭をかえりみない一家の長というのは私の子供時代から問題視されていたがなぜ問題かというとそれは子供がかわいそうだからという理屈なのだが私は子供というのはスケープゴートにすぎず実はただの夫婦の問題だと私は見抜いていた。問題視する妻が問題であり妻を認めようとしない夫の問題なのである。例えば仕事が船乗りだとか単身赴任だとかで盆暮れしか帰らないみたいなケースだってあるのだから子育ては両方の親で行いましょうみたいなのを「べき論」で語るのは浅はかだ。


CMに話をもどすと私は夫とされる人物はこの先も今回のような子供の誕生日をエスケープするみたいなことは行ったほうがいいと思った。それは帰ってからの妻とされる人物の反応が睨みつけ文句を言う程度の比較的軽いものだったからで家族は風呂でさっぱりしたあとにちゃんと誕生日ができた。つまり夫は前後不覚になるほど飲んだわけでもなく完全に反古にするつもりはなかったのである。翌日から再び積極的に家事も行ってくれるようになるのだから大目に見てやればいいのだ。妻にはそういう打算があったから極度に感情的になって矯正しようとしたり逆に理解を示そうとしなかった。


これはこの家族だからOKでありあるいは私の見立てがそうだからOKなのでありこうした夫の行動が我慢できず子供に愚痴ってしまうとかならダメなのである(本当はダメじゃないが)。私は家族内での夫婦の役割とは社会の男女の役割とはちがってもっと局所的でいびつであっていいと思っている。