意味をあたえる

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若い人にやさしくできるか

昨日自分が年をとってきたが自分よりも後輩の人にやさしくして嫌な人と思われずにやっていけるかという記事を読んでそれはかなり難しいのではないかとかんじた。せいぜい先輩からされて嫌に思ったことをやらないくらいだがそれすらも難しいときがある。若い人はどうしてこんなにもダメなんだと思うことがある。私がこのブログを始めたときは当時職場にいた若い人のことを書いていてもうどんなこと書いたか忘れたが多分使えないやつだとかそんなことを書いていた。彼は結局辞めてしまったがそれからしばらくして別の若い人が来たらその辞めた彼は実はそんなに悪くなかったんじゃないかという話がちょこちょこ出た。さすがに私はそこまで図太い人じゃないから思っても口には出すまいと思ったがどこかで言ってしまったかもしれない。なんにせよ自分以外の人というのはたいてい自分よりも仕事ができないしいちばんできない人は今目の前にいる人なのである。


今いる若い人も最初のうちはこれは本当に駄目なんじゃないかと思ったしそもそも別の拠点からいらないからと追い出された人だったから私ひとりがダメと思ったわけではないから私はそういう心細さはなかった。しかしとにかくやらなければならないから本人にはちゃんと教えるから大丈夫とか困ったことはないかとか励ましたりしてちょうどその頃読んだ本に「今の若い人は挨拶もできないというがそれは習ってこなかったからできないだけだ」というのがあったから挨拶の仕方を教えてでもダメかもしれないという気持ちはぬぐえなかった。


しかしそれと同時期にやはり同じ拠点から同じように追い出された人が隣の部署にやってきてこの人は愛想もいいし気の利いたこともいうからこの人がうちなら余程良かったのにと思いつつも仕事中なのにしょっちゅう私のところにきて長い話をして変だなと思ったらその人は仕事をずっとサボっていてやれと言われたことを一切放棄していて結局会社からも追い出されてしまった。そのようなことがあって私は改めて人を見る目がないことを認識しそうするとむしろ自分が見込みないと思う人ほど可能性があるんじゃないかと思って私は励まされた。


そうしてここ2・3ヶ月はなかなか頼もしいことも口にするようになったから少なくともまるっきりダメということはなくなってじゃあこれも任せようみたいな良い循環に入りつつあるが本人は多分私が「ダメかもしれない」という気持ちを抱いたことを見抜いているし糞ったれな大人だと思っただろう。