意味をあたえる

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三国志と罪と罰

三國志を読んでいたら曹操が都から逃げ延びて親戚だか父の知人にかくまってもらうという場面がありそこで家族は曹操と連れをもてなそうと猪を捌こうとするが壁を挟んでその際の音や会話が曹操の耳にはいると曹操は自分を殺そうとしていると勘違いし扉を蹴破ると一家を皆殺しにしてしまう。天井から逆さ吊りにされた猪を見て曹操はしまったと思いすぐに逃げ出すがその途中にひとり酒を買いに行っていた主とばったり会い主はまさか家族を皆殺しにされたとは思わず曹操に「どこ行くんだ?」と訊ね曹操も小用がみたいにごまかしてやり過ごす。うまく逃げおおせたわけだが少し進むとそうそうは連れに「ちょっと待っててくれ」と言い残ししばらくするとまた戻ってくるのだが何をしてきたのか訊くとやっぱり主人を殺してきたという。皆殺しにされた家族を見せるのは不憫に思ったようだ。これには連れもどん引きなのだが曹操からしたら自分は王となるために生まれてきたのだからこれくらいは罪に問われないという理屈なのであった。


私は上記のシーンを読んで罪と罰を思い出した。ちなみに読んだというのは吉川英治の小説の三国志三国志もいろいろあるから曹操も殺したり殺さなかったりするからその辺は留意していただきたい。罪と罰ドストエフスキーしかないから訳の差こそあれラスコーリニコフが殺したり殺さなかったりということはないだろう。ラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺すのは強欲な人だからOKみたいな理屈でまたナポレオン級の英雄なら自身の大儀のために人を殺すのはOKとも言っていてこの辺りが曹操と重なる。ラスコーリニコフは自分がナポレオンかどうかで思い悩むのだが曹操は特に悩んだりしない。その辺がエンターテイメントである。なんとなく読み始めて数ページで人があっさり死ぬ赤川次郎東野圭吾と重なるぶぶんがある。もちろんためらいがちに殺人を犯すことが文学と言うつもりはない。誰かがドストエフスキーはエンタメ作家で文学っぽく見えるのは言葉遣いが古くさいからと言っていてそうかもしれないと思った。


しかし人がぽんぽん死ぬとすいすい読み進められるという傾向はある。個人の死にこだわるととたんにぬかるみにハマったみたいになるのは何でだろう。リアルだからというのはあまりに安易だしなんだか平和ボケしてると言われそうだ。私は曹操に殺された家族を不憫に思うがそこにかかずらうのはいかにも間抜けだ。