意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

まだ靴をおろしていない

夏に入る前の6月おわりから7月頃に新しいランニングシューズを買ったがまだおろしていない。前のというか今履いているのはたしか2011年の秋に買った。その年の春に会社に新しい人が入ってあるときその人が割引券をくれたのでそれを買った。私がその会社に入ったのはその一年と少し前で私はほどなくして腰をいためて隣町の接骨院にひと月くらい通った。遠かったがそのときそういう場所にかかるのが初めてだったので父の知り合いのところを紹介してもらったのだ。それからしばらくは調子が良かったがあるときまた酷くなったので今度は家のすぐ近くのところにした。いつのときも一週間も通えば良くなってしまうのだが先生はまだ通ったほうがいいみたいに言うし「どこまで治ったら最後」みたいな見通しを示してもくれないし治療代は通うほど安くはなるが馬鹿にはならないしでいつ止めようかやきもきしてしまう。良くなったと早合点してすぐに悪くなったらバツが悪い。接骨院はどこも電気を流してくれるがだんだんと退屈になってくる。最初に来たときは藁にもすがる気分だったのに。


それでも最初の接骨院は年明け見て大丈夫ならOKと言質をもらい「治ったらもっと運動しなさい」と言うから走ることにした。走るのは好きではないが気楽ではある。最初の頃は夜に走っていて格好も寝巻きだった。靴は義父が定年祝いにもらったスニーカーをくれたのでそれを履いた。私は何を始めるにしても形から入るのが嫌だった。ドラムをやっていたときも自分のスネアドラムを買ったのは始めてから五年か六年経ってからだった。物を買うと自分の部屋が狭くなったりあるいは物を置いておくと定期的に掃除をしたりとか手入れをしないと自己嫌悪をおぼえるから嫌だった。いらなくなったから捨てるというのも抵抗があった。一時期ミニマリストという言葉が流行ったがその定義は定かではないが物を持つことに消極的という面では私はミニマリストだった。自己分析するに私は子供の頃は割と玩具なんかをよく買い与えられたから物を持つことの鬱陶しさを早くから感じていたのかもしれない。よくある話に親から物を買ってもらえなかった子供が大人になってものすごい収集癖を発揮するのと逆のパターンである。ちなみに私は子供の頃母がいつも柿ピーばかり買ってきたが私は柿の種がいつも邪魔で仕方なく大人になってからはバタピーしか食べなくなった。