意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

遠回り

朝から気持ちが沈んでいたがガソリンを入れるためにガソリンスタンドへ行ってキットカットの大きいやつのバーとコーヒーを買って口にしたらいくらか晴れ晴れとした気になって
キットカットの大きいやつはビックリマンチョコ食ってるみたいだなー」
と思った。実際にはビックリマンチョコよりも厚みがあるのだが子供時代の口の大きさを考えると今でも売っている当時と同じサイズ(または小さい)ビックリマンを口にしても同じにはならないし懐かしいと思っている人はどこかで騙されている。観測する私たちも日々変化して記憶に影響をあたえるはずである。昔のものがどんどん復刻する世の中で例えば私は幼いころドリフターズに大笑いしたのでそのころの番組がまた放送されないかなーと思っていてついに放送されたがちっともぴんとこなかったというのと同じだ。私の感性が変わってしまったことは悲劇かもしれないが過ぎ去ったものがある程度の完成度をもって再現されてしまうのはどこか歪だ。私の少年時代にもベーゴマが流行ったりまたメンコという厚紙をひたすら叩きつけるゲームに大人が懐かしがって興じるシーンなどはテレビなんかでやっていたが当の大人がかんじた懐かしさというのはどうだったのだろう。やはりどこか胡散臭さをかんじつつも「懐かしがる自分」を演じ楽しんでいたのではないか。懐かしいという感情は紛い物である。楽しさを感じ続ければそれは今日現在も続くはずで「子供のころからやってます」という行為は日々更新されているはずだが懐かしいとはかんじないのである。


日が傾きかけた世の中を遠回りして帰るとひさびさに通った道には十年くらいまえに何度か行った飲み屋があるはずだがそこは更地になっていてススキが生えていて
「平家の夢のあとみたいだなあ」
と思った。一緒に飲んでいた人はまだ存命だろうか。