意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

リアガラス

たまに車で走っているときに前の車が車内で試聴している番組が見えることがある。たいがいはワンボックスカーなどの大きな車であるが今日は軽自動車で助手席のヘッドレストの裏側にタブレットを取り付けて「ちびまる子ちゃん」を見ていた。友蔵が何かを言っているが当然私の耳には届かない。次の瞬間アンパンチがくり出される。よく見るとそれはアンパンマンだった。何を友蔵と見間違えたのか。アンパンマンじゃ小さい子だろうか。


私は幼いころに後部座席に座るとよくリアガラス越しに後ろの車の運転主にジャンケンを仕掛ける遊びをした。言葉を通わせなくともジャンケンは可能である。拳を縦に二回振って「ジャン・ケン」と拍子をとると次の「ぽん」が揃って勝負が成り立つのである。無視する大人はいなかったように思う。何回かやると向こうが手を振ってきてそれが別れの合図であり相手はどこかへ曲がって行ってしまうのである。私が曲がるパターンもあるが曲がるのは運転手なので私からの別れはいつもタイミングを逸した。それから20年30年が経ったある日私が運転手になって車を運転しているときに前の車の子供にジャンケンを仕掛けられ私は感動した。感動したので私は拳を大きく振ったと思う。望むところだというところを表明したかったのである。


こう書くとその前の段落とのつながりで今の子はジャンケンをやらずにユーチューブにばかり興じているみたいな批判めいた内容になりそうだが特にそういうつもりはない。私は子供にはユーチューブでもビデオでもじゃんじゃん見せたほうがいいという考え方である。ユーチューブなんかより自分と遊んでほしいと思ったときだけ遊んであげればいいのである。子供だって教育とかいうののために無理して合わせてもらうよりテレビでも見ていたほうが気楽なはずである。また本を読む親というのもいるが普段は読まない人がそのときだけ読書家ぶっても楽しいわけないし子供だって内心「あ、この人普段は読まないんだな」と見破ってしまう。本を読み聞かせるとどういう効果があるのだろうか。私は胎内の子供にクラシックを聞かせるのと大差ないと思う。


昔の記事にも書いたが子供が本を読んでくれときても私は嫌なので「お互い読みたいものを読もう」と提案したり1ページずつ順番こに読んだりまたは逆に私の読んでいる小説を読み聞かせたりした。この前ふと当の子供にそのことをおぼえているかと訊いたらまったくおぼえておらず
「ひどい親だ」
と言われた。