意味をあたえる

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西野カナを見て希望がないとかんじる

西野カナがテレビに出ているのをたまたま見てこんな風に曲を作っていますみたいな話があって歌詞のリアリティを上げるためにたとえば友達に話を聞いたりとかあとはもっと大々的にアンケートをとったりしてますみたいな話をしていてそれが市場調査のようにかんじて完全に商売だというふうに思った。というか市場調査であり商売だろう。だがあんな風に開けっぴろげに言われてしまうと夢も希望もないような気がした。


よく「夢を売る仕事」みたいな表現がされるがそこに出てくる夢とはなんだろう。端的に言ってそれは「世の中お金ではないんだよ」みたいなことだと思う。お金ではないというのは死をおそれないことである。逆に言えば私たちは死なないためにお金を稼ぐのである。お金を稼ぐためには時間と能力を売る必要があり大多数の人は能力がないから時間を売ってそうやって息つく暇もなくなるのである。


西野カナを見ていると西野カナの背後には数多くの人たちが見えそれぞれの人生が見えその人たちが路頭に迷わないように西野カナが奮闘しているように見える。西野カナはアーティストではなく女社長のように見える。それはまったく何もおかしくないがそうなると「共感」という言葉のニュアンスが微妙に異なってくる。私はもう昔ほど「共感」という言葉を気にしなくはなったが考えてみると「共感」という言葉は純粋さを装っても実情はどうにでもあつかうことができ使う本人も気づかないうちに振り回されてしまう。


私はアーティストを自称する人は破天荒で刹那的であることを期待する。たとえその後に曲がばんばか売れてお金まみれになってしまってもどこかに少しでも死をおそれないところが残っていると信じていてそれが希望である。