意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子供が小さいときは楽しかった

「物のないオシャレ新婚家庭は『乳幼児の文字環境として砂漠』」子育てをする上で理想的な環境トリセツがとてもためになる - Togetter

これを読んでもちっとも腑に落ちなかった 同じことを何度か書いたが不特定多数のベストやベターを求めるより親自身があまりストレスをためずできるだけ前向きな気持ちになれる環境がいちばん良い そして極力子に期待をせず常に子離れを意識するのが子育てである 私は親が漫画が好きで漫画ばかりがある家に育った 小説や文字の本もあったが漫画のほうが分かりいいので私は漫画ばかり読んでいた そのうちに父親が父親は「コブラ」とか「シティーハンター」とか「明日天気になれ」などを読んでいたがたまにすでに買った32巻を再び買い揃えたり代わりに30巻を飛ばしたりみたいなそろえ方をすることに気づいた 特に美味しんぼは抜けがひどく全体の巻数の半分くらいしかなく高校時代に友達に読んだことのない巻だけ読みたいからメモして渡したらずいぶん変な顔をされた 美味しんぼはまだいいが明日天気になれは話は続いているのに不便ではなかったのだろうか 父はあるとき

「俺にはこんな才能がある 才能とはこうだ 一度でも読んだことがある漫画を読んでいると途中で「これは以前に読んだことがあるぞ」と思い出せるんだ」

と私に自慢げに語ったことがあり私は吹き出した 父は大真面目であった 私は「そんなの普通だよ」と返し父は心なしかしょんぼりしていたから言わなければ良かったかもしれない よく考えたら読んだ本を片っ端から忘れて二度と思い出さない人のほうが世の中には多いのかもしれない もしくは読んだことを読みながら思い出すということは父の時代は普通ではなかったのかもしれない 確かに父は今でもバキュームカーみたいな調子で本を読むが読んだ内容について話しているのを聞いたことがない 母も妹も読むがお互いに守備範囲が違うから「本トーク」というのも滅多にしない 私はそこそこ読むが子供はあまり本を読まないので本トークは皆無だ 


引用元で「スマホで文字や文の構成をおぼえる」とそれっぽく書いてあって無茶言うなと思ったがやはり子供の成長は何で影響を与えてもいいのだ 子供が時計を読めなかったころに「長い針が8のところにきたら云々」
みたいなやり取りをしていたころが懐かしい 子供に還るみたいな言い回しがあるがあのとき私は時計が読めないふりをしてあるいは文字が読めないふりをして自分の子供相手に子供にかえっていたのである 今は私にも書けないような漢字も書くようになって家族は家族というよりただの大人の集団になってしまいつまらない