意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

好きというのは足枷だ

会社の後輩が会社を辞めると私に告げもう次の会社は決まったというし好きなことがしたいというからできるというから私はむしろ祝福したい気持ちになった 貿易会社に勤めるらしい
「海の近く?」
というと
「海の近くです」
答えた 私の中で貿易といえばそれくらいのイメージしかなかった 私が海なし県に住んでいるというのもあるだろう あとものすごい金持ちのイメージでしかし金持ちは「貿易会社の社長」だった気もする 社長はもちろん貧乏なのもいるだろうが大抵は金持ちだ 車で言うとクラウンとかベンツみたいなものだ 聞くところによると安いクラウンというのもあるらしいがそれでも周りは「さすがはクラウン」みたいな目で見てくれるらしい 裸の王様という童話があるがあれの現代版をつくるなら王様はクラウンに乗って登場するのだろう 純粋な子供が
「でもあの車は軽自動車だよ?」
とか言って親に殴られるのだ クラウンは軽ではない


私は後輩のふだんの仕事ぶりを見て正直貿易会社ではどうなのだろうかと思うところもあったが好きなら一生懸命やるのかもしれない そうすると逆に言えば好きじゃない現在の仕事は低パフォーマンスでやっていたことになるがそんな器用なものなのだろうか かつて私は好きなことを仕事にできるならしたほうがいいみたいな記事を書いたがそれは結局は好きでも嫌いでも同じみたいな内容だったがそもそも私自身好きな仕事なんてなかったしもっと言えば好きなことがない 好きなことがある人からしたら信じられない人生かもしれないが強いて言えば昨夜実家で食べた湯豆腐が幸せだった 危篤の叔父を囲みながら周りの人いわく私はハマるとものすごいらしい そんな自覚はまったくなく面白いと思ってもすぐに飽きてしまって困っている でも私のことなんて私より周りの人のほうがよく知っているから私は自分の好きなものが見えないのだろう あるいは見ないのだろう


そういう私からするとやはり好きというのはエクセルで言う「フィルター」のように見えてしまう 好きもいいけれど仕事は他人のやりたがらないことをするとポイントが高い 誰でもできるがなるたけやらずに済まそうとすることが良い しかしポイントとはお金のことではなく 居心地とかそんなのだ 物わかりの悪い子だったからもっとストレートにそう言えば良かったかもしれないが私だってそんなこと今考えたところだ 確かにえり好みする風が見え私はそれに違和をおぼえていた