意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

話の長い人

今日は話の長い人が多くて参った 6時をすぎて突然人々の話が長くなった しかも内容が「話の長い人」についてだった 一時間も二時間も喋るという それはクレームだった 話してくれたのは営業で長く続くクレームについて「武勇伝」と表現した あるいはこの会社は客からのクレームを武勇伝と呼んでいるのかもしれない 隠語的な 


たくさんの話を聞きながらあるいは私は人の話を聞くのが上手になったのかもしれないと思った 家ではだいたい妻と子供が同時にしゃべってくる どうしてどちらかが遠慮しないのか不思議でしかたがなくなる かつて村上春樹がどこかの著書で聞き上手はそうはいないみたいなことを書いていて聞き上手とは違うが「風の歌を聞け」では主人公の子供のころの回想で少年の主人公が失語症みたいになってそこにウィットのきいた医者が対峙するみたいな話があった あるいは小説家は人の話を注意深く聞ける人というのがあった気がする とにかく聞き上手が貴重な存在であることは私にもなんとなくわかっていた しかし最近ではいかに上手に主張するかみたいなのばかりで話を聞くためになんとかみたいなのはあまり目にしなくなった